宝樹院

小泉家の菩提寺

六浦大道にある真言宗寺院。もとは六浦三艘にあったが、伽藍を焼失したため、1650年に当地に移転した。平安時代作の阿弥陀三尊像は県の重要文化財。本堂前には、小泉純一郎の父祖である小泉又次郎と純也の墓が並ぶ。

宝樹院

宝樹院について

基本情報

山号寺号
高栄山宝樹院(こうえいざんほうじゅいん)
宗派
真言宗
創建
1650年(慶安三年)
開山
永叫
開基
永叫
本尊
大日如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京急六浦駅徒歩15分
住所
神奈川県横浜市金沢区大道2丁目7-1

概要

六浦大道にある真言宗の寺院。 もとは六浦三艘の谷戸にあったと伝わるが、火災で伽藍を焼失したため、1650年に当地に移転した。 阿弥陀堂に安置されている木造阿弥陀三尊像は県指定の重要文化財。 平安時代の作で、平成3年、頭部内から称名寺開山審海の修理願文などの納入品が発見され、崖下にあった1147年建立の常福寺本尊であったことが判明した。 寺近くには、内閣総理大臣小泉純一郎の祖父で、「いれずみ大臣」などの異名をとった大衆政治家 小泉又次郎誕生地の石碑が立つ。 本堂前には、小泉又次郎と小泉純也(純一郎の父)の墓が並ぶ。

見所

県文化財
木造阿弥陀三尊像 - 平安時代の作。平成3年、頭部内から称名寺開山審海の修理願文などの納入品が発見され、崖下にあった1147年建立の常福寺二間四面堂の本尊であったことが判明した。
観光名所
本堂
阿弥陀堂 - 神奈川県指定重要文化財の木造阿弥陀三尊像を安置。
小泉又次郎誕生地の石碑 - 当院近くに立つ。内閣総理大臣 小泉純一郎の祖父で、「いれずみ大臣」などの異名をとった義侠心のある大衆政治家。横須賀市長、逓信大臣、衆議院副議長などを歴任。
小泉家の墓 - 小泉又次郎、又次郎の女婿である小泉純也(純一郎の父)の墓が本堂前に並んでいる。

歴史

1147年
当院南側崖下に大道山常福寺が創建された。
1271年
常福寺が称名寺の末寺となった。
1282年
称名寺初代住持 審海らによって、常福寺本尊の阿弥陀三尊像頭部内に自筆の修理願文などが納入された。
室町時代
常福寺は、大道一帯が領地であった第4代鎌倉公方 足利持氏の祈願所で、門前に関所が設けられ、称名寺修造に充てるための関銭が徴収されていた。
1650年
六浦荘三艘の谷戸にあったと伝わる宝樹院が火災で伽藍を焼失したため、六浦大道の常福寺崖上に移転した。
江戸時代
常福寺の寺運は衰退した。
明治時代
常福寺の管理を崖上の宝樹院に任せた。
1865年
小泉又次郎(小泉純一郎の祖父)が宝樹院近くで生まれた。
昭和26年
小泉又次郎が死去し宝樹院に葬られた。
昭和44年
又次郎の女婿である小泉純也(小泉純一郎の父)が死去し宝樹院に葬られた。

撮影後記

 先の国政選挙でも圧倒的だった政治の嫡流小泉家の菩提寺が、六浦の地に人知れずあります。 小泉家と云えば横須賀が地盤ですが、孝太郎、新次郎氏の曽祖父にあたる又次郎が生まれたのが六浦荘大道の地。 トビ職の次男として生まれた又次郎は、小学校に上がる頃、横須賀に移住します。 当時の小泉家は貧しく、苦しい家計を支えたのは家業を継いだ弟の岩吉だったそうです。 弟もまた背中に入れ墨を彫り、又次郎の度重なる無心にもいやな顔ひとつ見せず、資金の工面をしたといい、仁侠のあるオトコだったようです。

更新履歴

2013年1月9日
初版をアップロードしました。
2014年11月8日
ギャラリーに作品を1点追加しました。
2014年11月14日
ギャラリーに作品を2点追加しました。

宝樹院紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

京都

京都紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野