英勝寺

鎌倉に残る唯一の尼寺

浄土宗寺院で鎌倉に残る唯一の尼寺である。太田道灌の屋敷跡に、水戸家初代・徳川頼房の養母で徳川家康に仕えた英勝院(お勝局)を開基とし1636年創建。代々水戸家の姫君を門主に迎え、「水戸御殿」とも称された。

英勝寺

英勝寺について

撮影後記

 門には「花だより」が掲げられ、一年中花の途絶えるときがない尼寺さん。 ここは現在、鎌倉の山王ヶ谷に建っていた立派な山門を買い戻し、山門復興事業が取り行われています。 それに続く総門は常時閉まっていて、通用門からお邪魔することとなります。 しかし、その通用門も閉まっているので、薬医門のようにその脇にある間口から腰をかがめて入山することになります。 ですので、観光客は法用でもあって閉まっていると勘違いし、素通りする人もおり、比較的静かなお寺さんです。 お寺の方で、入場制限しているのかもしれません。
 英勝寺を開基した、お梶(英勝院)は、聡明な女性と知られ多くの逸話が残されています。 「うまいものも塩、まずいものも塩」の話はよく知られ、家康が家臣たちに、一番美味い食べ物とはなんぞやと尋ねた際、家臣たちは、それぞれが答えをならべたのが、お梶は、塩と答えました。 塩がなければ味を調えられないというのが理由でした。 次いで、家康が一番まずいものは何かと、お梶に尋ねると、それも塩と即答。 どれほど旨いものでも、塩加減を誤るとまずくて食べられないと。 家康と家臣一同は、関心したというお話です。 また、婚姻などのかごの順序は、春日局よりも先であったそうです。

概要・歴史

山号を東光山とする浄土宗寺院で、現在、鎌倉に残る唯一の尼寺である。 太田道灌の屋敷跡といわれる地に、徳川頼房(水戸徳川家初代)の養母で徳川家康に仕えた英勝院(太田道灌から数えて四代の孫康助の娘で落飾前はお勝局として知られる)を開基とし、玉峯清因(徳川頼房の娘である小良姫)を開山として1636年創建。 徳川頼房や、徳川家光から庇護をうけ、第一世の庵主小良姫(清因尼)以来代々水戸家の姫君を門主に迎えていたため、「水戸御殿」や「水戸の尼寺」ともいわれたという。 その後、六世の清吟尼を最後に水戸徳川家からの住持は絶え、徳川家の支援によって維持された。 江戸初期建築を残す仏殿、祠堂、唐門、鐘楼は県重文に指定されている。

住所: 神奈川県 鎌倉市扇ガ谷1丁目16-3

更新履歴

2010年10月13日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月20日
ギャラリーに作品を3点追加しました。

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