台上町

山ノ内に接する地区

台地区の山ノ内に接する台上町(大字台)のエリアである。正面に戸部川、背後に台峯丘陵がある台の地形は、水防及び防衛上の観点から優れており、弥生時代から人が住んでいたことが発掘調査から分かっている。

台上町からの円覚寺

台上町について

基本情報

名称
台上町(だいかみまち)
交通機関
JR北鎌倉駅から徒歩
所在地
神奈川県鎌倉市台(1丁目~5丁目は除く)

概要

台は柏尾川支流の戸部川に沿った細長い地域であるが、ここでは台上町(大字台)のみを取り上げる。 正面に戸部川、背後に台峯丘陵がある台の地形は、水防及び防衛上の観点から優れており、弥生時代から人が住んでいたことが発掘調査から分かっている。 こうした場所は「岱(だい)」の字を充てることが見られ、いつしか「台」に転訛したものと考えられる。 円覚寺塔頭の「黄梅院文書」の応永33年(1426年)が初見で、それ以前に山崎村から別れて成立したものとみられる。

見所

観光名所
稲荷神社 - 台上町の鎮守。山城国飯成山に鎮座する受気母智命(稲荷神のひとつ)を承久年間(1219年~1221年)に勧請した。江戸時代には山の神と山王と共に祀られていた。弘化4年(1847年)再建当時の手水鉢、享保20年(1735年)の庚申塔がある。
東渓院跡 - 1680年創建の臨済宗寺院があったが、廃仏毀釈で明治5年に廃寺となった。豊後国岡藩主中川久清が娘の菩提を弔うために創建された。箱根湯本の早雲寺末。釈迦如来像は光照寺に遷されている。
台公会堂 - 室町時代作の地蔵菩薩像2体が祀られていた地蔵堂が嘗てあった。稲荷神社の本地仏であったともいわれている。地蔵菩薩像は鎌倉国宝館に寄託されている。
八幡神社(小八神社) - 台村市場地区の鎮守。享保20年(1735年)この地の領主となった別所氏が石清水八幡宮から勧請した。氏子域では「小八幡さま」と呼ばれている。
観音堂跡 - 昭和40年ごろまで聖観音や地蔵菩薩を安置した藁葺き屋根の御堂があった。
市場公会堂 - その昔、毎月五日、十日に定期市が立って賑わったことから市場区と呼ばれる。紅花の市や、江戸時代には馬の市も立ったという。

歴史

弥生・古墳時代
北鎌倉女子学園のある台山から住居跡、土器や鉄製鎌が出土し、弥生時代から人が住んでいた。
1219~1221年
承久年間、稲荷神社が創建された。
室町時代
円覚寺塔頭の黄梅院領であった。
戦国時代
小田原北条氏馬廻衆の所領であった。
江戸時代初期
江戸幕府の天領であった。
1697年
別所氏の旗本知行地となった。
1735年
別所氏によって八幡神社が創建された。
明治22年
台村が小坂村の大字となった。
昭和8年
小坂村が大船町へ改称した。
昭和23年
大船町が鎌倉市へ編入された。

撮影後記

 台は大船地域に含まれますが、北鎌倉カテゴリを作っているので、大字台のみをこちらで取り上げています。 台下町(台1丁目~5丁目)の方は、大船カテゴリの方で紹介しています。 なお鎌倉市の行政区分では、台1丁目(柏尾川と東海道線に挟まれた細長い地区)だけ玉縄地域に含まれています。

更新履歴

2015年11月2日
初版をアップロードしました。

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