永福寺跡

鎌倉三大寺社址

鎌倉時代初期、源頼朝が建立した寺院で、鶴岡八幡宮、勝長寿院と並び鎌倉の三大寺社であった。3つのお堂と池や釣殿があり、二階建てであった事から二階堂とも称され、二階堂の地名の由来となっている。

永福寺跡

永福寺跡について

撮影後記

 頼朝が祈り、頼家が蹴鞠に興じ、実朝が歌を詠んだであろう夢の址。 鎌倉に唯一残るススキの大群生地でもありました。 今は、世界遺産推進のため整備事業が進捗し、ススキが群生する風景も徐々に少なくなってきたと跡地横に住んでいる方はおっしゃってました。
 かつては、秋になると一面に金色のススキの穂が棚引く光景は、どこでも見られたものでした。 それはそれでいいものでした。 箱物とこぎれいな芝生の公園だけは勘弁してもらいたい。

歴史・概要

永福寺(ようふくじ)は、鎌倉時代初期、源頼朝が建立した寺院で、鶴岡八幡宮、勝長寿院と並び鎌倉の三大寺社であった。 3つのお堂と池や釣殿があり、二階建てであった事から二階堂とも称され、二階堂の地名の由来となっている。 1983年から1996年に行われた発掘調査で、翼廊などが発見され、国の指定史跡となった。 頼朝は、1185年の奥州合戦を契機に、源義経・藤原泰衡をはじめとする数万の怨霊をしずめ、冥福を祈るための寺院の建立を発願。 その年の12月には永福寺の建立に着手した。 吾妻鏡によると、畠山重忠ら関東の御家人の助力があった事が記載されている。 1192年、本堂が完成し落慶供養が行われた。 1405年、火災ののち廃絶。

所在地: 神奈川県 鎌倉市二階堂

更新履歴

2010年9月10日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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