金龍院

九覧亭

六浦にある臨済宗建長寺派の寺院。永徳年間(1381年~1384年)、建長寺47世 方崖元圭が創建したと伝わる。境内裏山にある「九覧亭」からの眺望は、金沢八景随一といわれ、幕末から昭和初期まで賑わいを見せた。

金龍院

金龍院について

基本情報

山号寺号
昇天山金龍禅院(しょうてんざんきんりゅうぜんいん)
別称
金龍院
宗派
臨済宗建長寺派
創建
1381年~1384年(永徳年間)
開山
方崖元圭(ほうがいげんけい)
本尊
釈迦如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京急金沢八景駅徒歩5分
住所
神奈川県横浜市金沢区瀬戸10-12

概要

六浦にある臨済宗建長寺派の寺院。 永徳年間(1381年~1384年)、建長寺47世 方崖元圭が、建長寺の末寺として建立したと伝わる。 幕末になると、金沢八景発祥の地である能見堂からの内川入江の眺望が、泥亀新田などの干拓によって失われ衰退した。 そこで境内裏山に「九覧亭」が設けられ、金沢八景随一の眺望とされ、昭和初期まで賑わいを見せた。 開山の木造方崖元圭坐像は、県の有形文化財に指定されている。

見所

県文化財
木造方崖元圭坐像 - 南北朝時代作。寄木造、玉眼嵌入。
市史跡
九覧亭 - 金沢八景発祥の地である能見堂からの眺望の衰退により、江戸後期、境内裏山に設けられた展望台。野島、平潟湾、瀬戸橋などの八景に加え富士山(或いは能見堂)を加えて「九覧亭」と名付けられた。
飛石 - 金沢四石(他は称名寺の美女石と姥石、琵琶島の福石)の一つで、瀬戸明神が三島から飛来して磐座となった巨石。1812年の大地震で、九覧亭のあった場所から落ちてきたと伝わり、もとは鳶の形をしていたので、「鳶石(とびいし)」とも称された。
観光名所
本堂 - 開山方崖元圭の等身大の頂相彫刻を安置。本堂の後ろに「飛石」がある。
瑠璃光殿 - 薬師如来像が安置されている。

歴史

1381~1384年
永徳年間、建長寺47世 方崖元圭が、建長寺の末寺として建立したと伝わる。
1383年
方崖元圭が遷化。
1812年
瀬戸明神が三島から飛来して磐座となったと伝わる飛石が、大地震で九覧亭のあった場所から落ちてきたといわれる。
1848~1854年
嘉永年間、内川入江の景観が泥亀新田などの干拓によって失われた。
幕末~昭和初期
能見堂からの内川入江の眺望の衰退により、境内裏山に九覧亭が設けられ、金沢八景一の眺望とされ賑わった。
戦後
都市開発が急速に進み、湾岸が埋め立てられたため、九覧亭は衰退した。

撮影後記

 いつも大学生で賑わう金沢八景駅の近くにある禅寺です。 山寺号がカッコよく、縁起によれば、書院にあった硯から金の龍が昇天したからだとか。
 ここは、金沢八景(内川暮雪(内川入江)、平潟落雁(平潟湾)、野島夕照(夕照橋)、瀬戸秋月(瀬戸神社)、洲崎晴嵐(洲崎神社)、乙艫帰帆(海の公園)、称名晩鐘(称名寺)、小泉夜雨(小泉弁財天))一覧の九覧亭からの眺望で知られています。 歌川広重の浮世絵を見ると、さも眺望の良さそうな雰囲気ですが、実際に訪問してみると、雑木が生い茂り、内川の入江は埋め立てられ住宅街が広がっています。 かつては茶店があったといわれる場所には、藤棚と聖徳太子堂が建ち、展望台という雰囲気は感じられませんでした。 入り江の向こうに野島の夕照や瀬戸の秋月を想像して下山しました。

更新履歴

2012年8月24日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年11月14日
ギャラリーに作品を1点追加しました。
2014年11月15日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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