成福寺

鎌倉唯一の真宗寺院

小袋谷にある1232年創建の本願寺派の古刹で、市内唯一の浄土真宗寺院である。北条泰時の子である北条泰次が、鎌倉に招かれた親鸞に帰依し創建した。寺宝の聖徳太子像は、そのとき親鸞から贈られたものと伝わる。

成福寺

成福寺について

基本情報

山号院号
亀甲山法得院(きっこうざんほうとくいん)
寺号
成福寺(じょうふくじ)
宗派
浄土真宗本願寺派
創建
1232年(貞永元年) - 真宗改宗時。
開山
成仏 - 北条泰時の子 北条泰次(ほうじょうやすつぐ)。
開基
成仏
本尊
阿弥陀如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
大船駅及び北鎌倉駅徒歩15分
住所
神奈川県鎌倉市小袋谷2丁目13-33

概要

小袋谷にある1232年創建の浄土真宗本願寺派の古刹。 平地に建つ浄土真宗寺院は、挙兵の場となる危険があるとされ、小田原北条氏によって迫害され武蔵や三浦に移っていったため、市内唯一に残る浄土真宗寺院である。 開基は、北条泰時の子である北条泰次。 泰次は天台宗の僧として裏山の岩窟に籠り修行していたが、親鸞に帰依し、浄土真宗に改宗した。 寺宝の聖徳太子像は、そのとき親鸞から贈られたものと伝わる。 墓所には、俳優の笠智衆が眠る。

見所

市重要文化財
木像聖徳太子立像 - 鎌倉時代後期の作。親鸞から贈られたとされる。
市天然記念物
柏槙(ビャクシン)
観光名所
山門 - 茅葺きの四脚門。江戸時代、山崎の領主の崇高院が寄進したものといわれる。
亀の窟 - 成仏が修行をしたと伝わる岩窟。
笠智衆の墓 - 「一人息子」や「男はつらいよ」で知られる昭和の名優。

歴史

鎌倉時代初期
天台宗の僧 沙門院泰次(北条泰時の子とされる)は裏山の「亀の窟(かめのいわや)」で修行していた。
1232年
親鸞が戸塚から鶴岡八幡宮に通う途中、当寺に立ち寄り、泰次は教えを受け「成仏」という名と聖徳太子像をもらい、本堂を建て像を安置し、浄土真宗に改宗した。
1333年
鎌倉幕府が滅亡すると、四代の成円(じょうえん) は、北条高時の弟ということで追放された。
室町時代
応永年間まで70余年の間、無住であった。
戦国時代末期
小田原北条氏の意向を誤解した奉行衆に迫害され焼き討ちにあい、九代宗全(そうぜん)は伊豆の北条に落ち、その地に「成福寺」(現伊豆の国市にある真宗大谷派成福寺)を建てた。
1612年
11代西休(さいきゅう)が伊豆の成福寺から戻った。
1688~1704年
塔頭の西敬寺が境内に建てられた。
1811年
無住となり、後に廃寺となった。
明治時代
村役場や郡会の議場として本堂が使われていた。
大正12年
本堂が倒壊し、後に再建された。
平成15年
門信徒会館が建てられた。

撮影後記

 大船駅と北鎌倉駅のちょうど中間に位置し、横須賀線の車窓からも見えるお寺です。 鎌倉方面から鎌倉街道を大船方面に進み、水堰橋を右に折れるとお寺に出ます。 この幅狭の生活道路は、中世鎌倉街道の本道のひとつだったといわれています。 そのまま通過すれば笠間で分かれ、片方は戸塚へ、もう一方は横浜の永谷方面へ続いていました。
 現在、永谷や上大岡から弘明寺を通って関内方面まで行くには、小袋谷交差点を折れて岩瀬から公田を経由する鎌倉街道(県道21号)を利用するかと思います。 昔は、先に説明した本道の横にある道という意味で「横丁通り」と呼ばれていた脇街道だったそうです。

更新履歴

2011年10月15日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年11月20日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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