上町屋

町屋が軒をつらねた

梶尾川の水運と陸の鎌倉上道が交わる交通の要路として栄え、町屋が軒をつらねていたことに地名は由来する。梶原・山崎・寺分と共に洲崎郷に含まれ、新田義貞軍と北条軍の激戦地となった古戦場として名高い。

上町屋

上町屋について

基本情報

名称
上町屋(かみまちや)
交通機関
湘南モノレール湘南町屋駅から徒歩
所在地
神奈川県鎌倉市上町屋

概要

梶尾川の水運と陸の鎌倉上道が交わる交通の要路として栄え、町屋が軒をつらねていたことに地名は由来する。 町は市場・商工業者の居住地、屋は集落を意味する。 梶原・山崎・寺分と共に洲崎に含まれ、新田義貞軍と北条軍の激戦地となった古戦場として名高い。 正保元年(1644年)の絵図には「町屋村」とあり、元禄十年(1697年)のものには「上町屋村」に至り、上を冠した理由は未詳。

見所

市文化財
上町屋天満宮庚申塔 - 寛文十年(1670年)銘の三猿を刻んだ庚申塔。山王ガ谷にあった山王社にあったもの。
観光名所
泉光院 - 1639年創建と伝わる真言宗大覚寺派の寺院。もとは鎖大師青蓮寺の末寺であった。地蔵堂のお地蔵さまは、昔から「いぼとり地蔵尊」と親しまれ、御宝前の石でそのイボをさすると、イボが取れるといわれている。
上町屋天満宮 - 天慶年間(938年~946年)桓武天皇四世の平良文が、藤沢の村岡で霊夢により天神を祀ったのがはじまりとされる。本殿は天明元年(1781年)の再建。泉光院が管理していたことから、正月に泉光院から歳神の御幣をうけて祀る習慣がある。
吉祥寺跡 - 青蓮寺末寺であった真言宗吉祥寺があった場所で、泉光院に合併されている。古井戸跡があり、その近くにはお伊勢山と呼ばれる伊勢皇大神宮を祀ってある。
富士塚 - 山崎・上町屋・寺分の境に位置している塚。富士浅間神社を祀る石碑が点在し、富士の形をまねて先人が築いた塚であると考えられる。頂上には嘉永二年(1849年)銘の釈迦の首なし石像が置かれている。

歴史

1333年
この一帯(洲崎)は、新田義貞軍と北条軍の激戦地となった。
室町時代
梶原・山崎・寺分と共に洲崎郷に含まれていた。
江戸時代初頭
幕府の天領であった。
1644年頃
町屋村であった。
1697年頃
上町屋村となった。
江戸時代
天領と藤本氏の旗本知行地であった。
幕末
幕府の天領となった。
明治22年
上町屋村が深沢村の大字となった。
昭和23年
深沢村が鎌倉市へ編入された。
昭和43年
湘南モノレール湘南町屋駅が開業した。

撮影後記

 このエリアは、町内の半分くらいを三菱電機鎌倉製作所が占めています。 上町屋があるなら下町屋があってもいいのですが、下町屋という記述が書かれた古文書は発見されていません。 もともと「上町屋」を「まちや」と読んだともいわれています。

更新履歴

2014年10月31日
初版をアップロードしました。

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