五所神社

海上神輿渡御

江戸時代、この地は乱橋村と材木座村とに分かれ、五社が鎮座していた。明治時代になり合祀され五所神社と改称した。毎年6月には、例大祭「乱材祭」が盛大に行われ、材木座海岸から神輿が海上渡御する。

五所神社

五所神社について

基本情報

社名
五所神社(ごしょじんじゃ)
創建
1908年(明治41年) - 合祀改称時。
主祭神
大山祇命(オオヤマツミ)、天照大神、素盞嗚命(スサノオ)、健御名方命、崇徳上皇
旧社格
村社
例祭
6月第2日曜日
駐車場
駐車場なし
交通機関
鎌倉駅東口より五所神社バス停下車
住所
神奈川県鎌倉市材木座2丁目9-1

概要

江戸時代、この地は乱橋村と材木座村とに分かれていた。 明治初年に村が合併し乱橋材木座村となり、その後東鎌倉村に編入され字材木座と改められた。 もともと乱橋村には三島神社、八雲神社、金刀比羅社が、材木座村には諏訪社と視女八坂社が鎮座していた。 明治6年、乱橋村の三島神社が材木座村の鎮守として村社に列格し、明治41年に他の四社が合祀され、五所神社と改称した。 境内には、弘長二年(1262年)と刻銘された完全な姿の石像板碑があり、鎌倉時代のものとして貴重である。 毎年6月第二日曜日には、例大祭が盛大に行われ、材木座海岸から神輿が相模湾に海上渡御する。

見所

市文化財
石像板碑 - 弘長二年(1262年)と刻銘された完全な姿の板碑。實相寺の南に建ち明治初期に廃寺となった感応寺にあったもの。
石像庚申塔 - 寛文十二年(1672年)の刻銘された庚申塔など16基ある。明治41年の合祀時に集められた。
観光名所
本堂
神輿庫 - 寛永十九年(1642年)の棟札がかかる。
乱橋手摺石 - 乱橋は鎌倉十橋のひとつであった。
馬繋石
疱瘡老婆さんの石
末社 - 石上稲荷社。

祭事

1月11日
潮神楽 - かつて漁師の仕事始めの儀式であった。材木座海岸で、鼻高(赤面)、山の神(黒面)をつけ舞う。
4月15日
祈年祭 - 湯花神楽が奉納される。
6月第2日曜
例大祭(乱材祭) - 一番神輿は「鎌倉天王謡」を唄いながら、残り二基は「どっこい、どっこい」という掛け声で材木座氏子町を練り歩き、光明寺山門前に神輿三基を並べ、その後、材木座海岸から一番神輿を残し海に入る盛大な海上神輿渡御。
11月24日
新嘗祭

撮影後記

 鎌倉に夏を告げる材木座の一大イベント「乱材祭」。 私もずぶ濡れになりながら撮影しました。 みなさん結構沖まで行くので、波が来ると胸の高さぐらいまで浸かりました。
 華やいだ祭りの後、静まる街を背に、携帯を見ようとズボンのポッケに手を入れたら、「ガーン」携帯の存在をすっかり忘れてた。 24回払いで購入して間もないのに。 電源は入るけど、液晶が点灯しなくなってしまいました。 壊れかけのケータイ、今も大事にしまってあります。 高い授業料でした。

更新履歴

2013年2月8日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月15日
ギャラリーに作品を3点追加しました。
2014年11月18日
ギャラリーに作品を3点追加しました。

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