實相寺

工藤祐経屋敷跡

六老僧筆頭の日昭に開かれた日蓮宗寺院。境内は「曾我兄弟の仇討ち」で討たれた幕府の御家人・工藤祐経の屋敷跡だと伝わる。祐経の孫にあたる日昭が、祐経の屋敷跡に「濱土の法華堂」を建てたのが由来である。

實相寺

實相寺について

基本情報

山号寺号
弘延山實相寺(こうえんざんじっそうじ)
宗派
日蓮宗
創建
1284年(弘安七年)
開山
日昭 - 六老僧(日蓮の直弟子)筆頭。
開基
風間信昭 - 越後村田妙法寺開基。
中興
日潤
本尊
一塔両尊四士
駐車場
駐車場なし
交通機関
五所神社バス停徒歩2分
住所
神奈川県鎌倉市材木座4丁目3-13

概要

鎌倉市材木座にある日蓮宗寺院。 境内は、平安時代末から鎌倉時代初頭に活躍した伊豆国の武将・工藤祐経(くどうすけつね)の屋敷跡だと伝わる。 鎌倉幕府の御家人だった祐経は、日本三大仇討ちの一つ「曾我兄弟の仇討ち」で討たれた。 その後、祐経の孫にあたるとされる日蓮の弟子の日昭が、祐経の屋敷跡に「浜の法華堂」と呼ばれる濱土法華堂を建てたのが由来である。 本尊の一塔両尊は、南無妙法蓮華経が刻銘された一塔の両脇に、釈迦如来・多宝如来がまつられた三宝本尊である。 本堂右手奥の墓地には開山の日昭が眠っている。

見所

観光名所
日昭の墓 - 本堂裏の墓地の石段の上にある。

歴史

鎌倉時代初頭
曽我兄弟に仇討された工藤祐経の屋敷があったと伝わる。
1253年
工藤祐経の孫といわれる日昭が、日蓮の弟子となった。
1271年
日蓮が佐渡にいる間、日昭が、一門の教化・統率の拠点として祐経の屋敷跡に「浜土の法華堂」と呼ばれる法華堂を建てた。
1284年
法華堂を法華寺と号した。
1538年
戦乱により、越後村田(新潟県長岡市)の妙法寺に避難。
1594年
戦乱により、伊豆加殿(静岡県伊豆市)の妙国寺に避難した。
1621年
伊豆玉沢(静岡県三島市)に移った。(現在の玉澤妙法華寺)
同年
日潤によって鎌倉材木座の法華寺跡に再建され、實相寺と号した。
明治元年
大火で焼失。その後、再建された。

撮影後記

 寺院が並ぶ小町大路から一本山側に入った通りにある寺院。 日本三大仇討ちの一つ「曾我兄弟の仇討ち」で、源頼朝の富士の巻狩りの際に討たれた工藤祐経の屋敷跡だということです。 山門には「濱土法華堂霊跡」と木札が掲げられ、昔の材木座海岸はこの辺りまで海岸の砂浜があったのかと思いを馳せさます。 境内は小じんまりとして、本堂の柱に像に似せた像鼻の彫刻があります。
 歴史を紐解くと、ここ鎌倉の実相寺と新潟の村田妙法寺、静岡の玉澤妙法華寺はリンクしています。 山門に掲げられた木札にも記載されているよう、ここ実相寺がオリジナルな霊跡というわけです。

更新履歴

2011年9月27日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年11月17日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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