光明寺

浄土宗関東大本山

1243年創立の浄土宗寺院。開山は、浄土宗三祖然阿良忠上人である。歴代執権の帰依をうけ、後土御門天皇より浄土宗関東総本山の称号を受ける。春の桜と石庭のサツキ、夏の庭園の古代蓮が美しい。

光明寺と富士山

光明寺について

撮影後記

 光明寺は、なんといってもにゃんこですね。 住職さんや、参拝客や、幼稚園のみなさんに可愛がられています。 野良でも、お寺の猫ですので、さすが、そこらへんのことはわかっています。 光明寺を訪問したら可愛がってあげてください。
 光明寺の裏山には、「かながわの景勝50選」に選ばれているスポットがあります。 隠れた穴場なので、天気の良いときはお参りのついでに立ち寄ってみてください。 大きな三門の向こうにウィンドサーフィンと富士山が見えるかも。 自分は、この景色は、京都・奈良にはない海のある古都鎌倉を代表するような風景で大好きです。

歴史・概要

1243年創立の浄土宗関東大本山。 山号は天照山。 本尊は阿弥陀如来。 開基は北条経時。 開山は、「記主禅師」の謚号をもつ浄土宗三祖然阿良忠上人である。 良忠上人は鎌倉幕府4代執権、北条経時の帰依を受け、1240年に佐助に開創した蓮華寺が当寺の起源とされ、1243年に材木座に移築され、光明寺と改称したという。 その後も歴代執権の帰依をうけ、七堂伽藍を整え、関東における念仏道場の中心となり、後土御門天皇より『関東総本山』の称号を受け、国と国民の平安を祈る『勅願所』となる。 江戸時代になると、徳川家康は光明寺を関東十八檀林(徳川幕府が定めた浄土宗の18の学問所)の筆頭におき、念仏信仰と仏教研鑽の根本道場とする。 1847年、鶴岡八幡宮から移築された山門は、浄土宗関東総本山にふさわしい宏壮な門である。 本堂は、入母屋造、銅板葺きで、関東大震災でもほとんど損傷しておらず、建立当初の形式をよく保っている。 鎌倉地方でも最大級の本堂でである。 境内南側の内藤家墓所は、日向延岡の領主内藤家歴代の墓所で、200基以上の石塔が立つ。 このほか、総門、稲荷社、鐘楼なども近世の建築であり、他に開山堂、書院、客殿などが建つ。 庭園は、小堀遠州作と伝える蓮池を中心とした庭と、「三尊五祖来迎の石庭」と称する枯山水庭園がある。 塔頭の蓮乗院は、光明寺が佐助から移転する前からこの地にあったものである。 光明寺完成まで住職がこの寺に滞在した故事から現在でも住職がかわるときは、新しい住職はいったんこの寺に入ってから光明寺に入る。 また、光明寺は浄土宗の「お十夜法要」発祥の寺でもある。

住所: 神奈川県 鎌倉市材木座6-17-19

更新履歴

2010年8月15日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月15日
ギャラリーに作品を3点追加しました。

光明寺紀行のコメント

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ぬこォォォォ。3匹いるううww

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