寿福寺

源氏父祖伝来の地

扇ヶ谷にある臨済宗建長寺派の禅刹で、北条政子が栄西を住職に招聘し創建された。鎌倉五山第三位に列格され、多くの名僧が入寺した。源氏家父祖伝来の地で、源頼義、源義朝が屋敷を構え、源頼朝は、父 義朝の屋敷があったこの地に館(幕府)を構えようとした。

寿福寺

寿福寺について

基本情報

山号寺号
亀谷山壽福金剛禅寺(きこくざんじゅふくこんごうぜんじ)
別称
壽福寺(じゅふくじ)
宗派
臨済宗建長寺派
旧寺格
鎌倉五山第三位
創建
1200年(正治二年)
開山
栄西
開基
源頼家 - 実質的には北条政子。
本尊
釈迦如来
札所
鎌倉三十三観音 第24番、鎌倉二十四地蔵 第18番
駐車場
駐車場なし
交通機関
鎌倉駅西口徒歩10分
住所
神奈川県鎌倉市扇ヶ谷1丁目17-7

概要

扇ヶ谷にある臨済宗建長寺派の禅刹。 1200年、北条政子が、栄西を住職に招聘し、2代将軍頼家を開基として創建された。 鎌倉五山第三位に列格され、栄西、退耕行勇、心地覚心、円爾、蘭渓道隆など多くの名僧が入寺した。 もともと亀ヶ谷のこの地は、源氏家父祖伝来の土地で、相模守であった源頼義がこの辺りに屋敷を構えたことにはじまる。 その後、源義朝が東国に下向し、高祖父の頼義以来ゆかりのあるこの地に館を構え、東国武士団を統率する地位を確立した。 そして、鎌倉入りした頼朝は、父義朝の屋敷があったこの地に館(幕府)を構えようとしたが、すでに義朝忠臣の岡崎義実が堂宇を建て菩提を弔っていたことや、手狭だったこともあり、大倉(蔵)に館を建てることとなった。 頼朝没後、夫人の北条政子は夫の遺志を継ぎ創建し、義朝の旧邸跡に建てられたこともあり、政子、頼家、実朝の参台も多かったといわれる。 裏山には北条政子と源実朝の墓といわれるやぐらが残る。 寺宝の「喫茶養生記」(重文)は、 茶祖 栄西が宋で見聞きした茶の効用を記し、将軍実朝に献じた著書。 これ以降、喫茶の儀礼が広まっていくことになる。

見所

国重要文化財
喫茶養生記 - 茶祖 栄西が宋で見聞きした薬としての茶の効用を記し、将軍実朝に献じた著書。これ以降、喫茶の儀礼が広まっていくことになる。(鎌倉国宝館寄託)
木造地蔵菩薩立像 - 鎌倉時代作。(鎌倉国宝館寄託)
銅造薬師如来坐像 - 鎌倉時代作。神仏分離の際、鶴岡八幡宮から移されたもの。(鎌倉国宝館寄託)
県文化財
木造栄西禅師坐像 - 神仏分離の際、鶴岡八幡宮から移されたもの。
市天然記念物
ビャクシン - 仏殿前に立つビャクシンの巨樹四株。
国史跡
仏殿 - 1664年の再建。籠釈迦と呼ばれる本尊釈迦如来像、文殊・普賢の両菩薩像、神仏分離で鶴岡八幡宮より移された、仁王像、源実朝像、栄西像(県文)を安置している。
総門 - 江戸時代の建立。
中門(山門) - 江戸時代中期の建立。
鐘楼 - かつての梵鐘は、栄西が宋から持ち帰った「いぼなし鐘」といわれるものだったと伝わる。豊臣秀吉の小田原攻めで、後北条氏によって銃弾に転用されたといわれる。
参道 - 総門から山門に至る敷石の参道は、鎌倉一美しいとされる意匠。
実朝の句碑 - 実朝生誕800年を記念して、平成4年に建立された。平山郁夫の書。
北条政子と源実朝の墓 - 裏山に残るやぐらで、内部に供養のための五輪塔がある。実朝のやぐらは「から草やぐら」「絵かきやぐら」とも呼ばれ、唐草模様がかすかに残る。
墓地 - 裏山の墓地には、外務大臣・陸奥宗光、俳人・高浜虚子、作家・大佛次郎などが眠る。

行事

正月
仏殿特別公開 - 普段非公開の仏殿などが拝観できるときがある。
5月連休
仏殿特別公開 - 普段非公開の仏殿などが拝観できるときがある。

歴史

平安時代
この付近には検非違使だった桓武平氏 平直方の屋敷があったといわれる。
1039年頃
相模守であった源頼義が直方の娘婿となり、源義家(八幡太郎)が生まれると屋敷を頼義に譲ったといわれる。
平安時代末
河内源氏は一族内紛によって凋落していたため、源義朝が東国に下向し、東国武士団を統率する地位を確立し、高祖父の頼義以来ゆかりのある亀ヶ谷この辺りに館を構えた。ここに河内源氏の基盤が東国に確立し、中央進出への足掛かりを掴んだ。
1180年
鎌倉入りした頼朝は、源氏家父祖伝来のこの地に館(幕府)を構えようとしたが、すでに義朝忠臣の岡崎義実が堂宇を建て菩提を弔っていたことや、手狭だったこともあり、大倉(蔵)に館を建てた。
1200年
頼朝没後、夫人の北条政子は夫の遺志を継ぎ、栄西を住職に招聘し、2代将軍頼家を開基として創建した。
鎌倉時代初期
義朝の旧邸跡に建てられたこともあり、政子、頼家、実朝の参台も多かったといわれる。
1247年
火災に遭った。
1258年
火災で伽藍を焼失。
鎌倉時代末期
開山塔の逍遥庵を初め、15の塔頭を数えたという。
南北朝時代
七堂伽藍を擁し復興された。

撮影後記

 朱塗りの総門から山門へのアプローチが禅刹らしさを与えてくれる場所です。 平安時代末から鎌倉時代初期の、源氏ゆかりの場所でもあります。 意外に、この時期のものって、鎌倉に残っていないんですよね。 そういいたことからも、世界遺産の候補地になっています。
 なお、山門から先は拝観できません。 仏殿の中を見たければ、ゴールデンウィークなどの特別拝観のときに訪れるしかないですね。

更新履歴

2012年7月15日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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