鎌倉山

日本初の丘陵式住宅地

深沢地域南部から腰越地域北東部に広がる丘陵地帯。昭和初期、実業家の菅原通濟が、ドイツ人貿易商マイスナーの助言で、笛田、腰越・津に跨る丘陵を「鎌倉山」と命名し、日本初めての丘陵式住宅地として造成された。

鎌倉山

鎌倉山について

基本情報

名称
鎌倉山(かまくらやま)
交通機関
鎌倉山系統バス利用
所在地
神奈川県鎌倉市鎌倉山

概要

深沢地域南部から腰越地域北東部に広がる標高100m程度の丘陵地帯。 昭和初期、実業家の菅原通濟が、ドイツ人貿易商クルト・マイスナーの助言で、笛田、腰越・津に跨る丘陵を「鎌倉山」と命名し、日本初めての丘陵式住宅地として造成された。 大船と江の島を結ぶ日本最初の自動車専用道路が開通すると、高級別荘地として発展していった。 戦後、多くの別荘地が進駐軍に接収されていったが、高度成長期以降に住宅地として再開発された。 主要な道路には桜が街路樹として植えられ、別荘を改築した名店も多い。

見所

市重要建築物
檑亭(旧清香園) - 和洋折衷の料亭で、別荘分譲開始と共に建てられた。本館は横浜の江戸時代の養蚕農家を移築したもので、玄関は青蓮寺、山門は西御門にあった高松寺からの移築。建物内部には明治初期に輸入されたシャンデリアや、日本で初めて生産されたステンドグラスが使用されている。別館となっていた山椒洞は取り壊された。
観光名所
鎌倉山神社 - 鎌倉山の鎮守。一帯の宅地造成の際に、笛田の三嶋神社の分霊を祀り、昭和10年に鎌倉山神社と改称した。
信夫塚 - 駿河で討死した梶原景季妻の信夫(しのぶ)は、仏行寺裏山で嘆き悲しみ自害し、毎夜のように嘆き声が聞こえてきたため、「信夫塚」が建てられたという。宅地造成によって、信夫塚は鎌倉山若松に移された。
鎌倉山ロータリー - 鎌倉山開拓の起点として位置づけられ、「鎌倉山」と刻まれた石柱が立っている。関東大震災で倒壊した鶴岡八幡宮三の鳥居を譲り受けて立てられた。崇源院 江の遺願によって建てられた石造鳥居であった。
鎌倉山碑 - 昭和10年に建立され、鎌倉山が造成された経緯が刻まれている。
大塚山の遺跡 - 現在は民家の庭になっているが、頂上に大神宮が祀られていた。縄文式土器や弥生式土器も出土した。
夫婦池公園 - 上池と下池から成る夫婦池を中心とした風致公園。貴重な植物が自生し、散歩をしながら野鳥観察など楽しめる鎌倉でも隠れ家的な公園。

歴史

大正15年
大船-江の島自動車専用道路建設が政府から許可されると、実業家の菅原通濟らを役員とする日本自動車道株式会社が設立され、副業として沿線地の開発が始められた。
昭和4年
鎌倉山別荘地の分譲が開始された。
昭和6年
主要な道路に街路樹としてソメイヨシノを植樹した。
昭和10年
笛田の三嶋神社の分霊を祀り鎌倉山神社とした。
戦後
多くの別荘地が進駐軍に接収されて廃れていった。
高度成長期
住宅地として再開発された。
昭和60年
住居表示変更で笛田、腰越・津から分離し、鎌倉山は公式名称となった。
平成21年
夫婦池公園が開園した。

撮影後記

 鎌倉山って聞くと、鎌倉の奥座敷といった雰囲気で、行くのがめんどくさそうで、今まで敬遠していました。 最近、自宅のある極楽寺から尾根伝いに歩いていくと、10分足らずで鎌倉山に抜けることができることを知りました。 以外に、ご近所さんだったわけです。

更新履歴

2014年10月31日
初版をアップロードしました。
2014年11月1日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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