法性寺

日蓮と白猿

日蓮が松葉ヶ谷法難に遭い、鎌倉から逃げる際に3匹の白猿が現れ、この地にあった岩窟へ案内してくれたという。後に弟子の朗慶が、この地に法性寺を建てた。本堂の奥には、日蓮が身を潜めたという岩窟がある。

法性寺

法性寺について

撮影後記

 このお寺さんの山門は、扁額に白猿があしらわれています。 山号も「猿畠山」と号し、お猿さんと縁が深いお寺さんです。(縁起は、概要・歴史参照)
 本堂奥の墓地の辺りに「お猿畠大切岸」という絶壁があります。 これは、三浦半島を本拠地としている三浦氏の侵入に備えた幕府の防御施設だそうです。 厳密には、ここは逗子市にあたり、そういったこともあり、三浦半島の匂いがどことなく感じられます。 普段、鎌倉市内の寺社ばかり巡っているので、中世の地勢を留めている名越切通しを超え、ここに来ると、なんだか異国の風に吹かれた気分になります。

概要・歴史

山号を猿畠山(えんはくさん)とする日蓮宗寺院。 相模国風土記によると、1260年、日蓮上人が鎌倉の松葉ヶ谷に草庵を結び布教活動を行うが、松葉ヶ谷法難に遭い、鎌倉から逃げる際に山王神のおつかいの3匹の白猿が現れ、この地にある岩窟に案内し食べ物まで運んでくれたという。 後に日蓮は、弟子の日朗に岩穴のあった場所にお寺を建てるように云ったが、日朗が死んだため、弟子の朗慶が法性寺を建てたとされる。 本堂の奥、百段の石段を上った場所に日蓮を祀る祖師堂があり、その横にある岩窟が日蓮が身を潜めた場所だと伝えられる。 さらに祖師堂奥には、お猿畠と呼ばれる段々畑が谷戸をうめ、幕府の防御施設である大切岸(おおきりぎし)が聳え、山道が名越切通しへと続いている。

住所: 神奈川県 逗子市久木9丁目1-33

更新履歴

2010年11月9日
初版をアップロードしました。
2011年8月19日
ギャラリーに作品を4点追加しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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