浄泉寺

小動神社別当寺

腰越にある真言宗大覚寺派の寺院。寺伝によれば、弘法大師空海が草創したと伝わる。大正6年まで小動神社の別当寺で、神仏分離後も長らく別当を務めた。また、当寺の寺小屋は現在の腰越小学校の前身ともなっている。

浄泉寺

浄泉寺について

基本情報

山号寺号
小動山浄泉寺(こゆるぎさんじょうせんじ)
宗派
真言宗大覚寺派
創建
不詳
開山
伝 空海
中興開山
元秀
本尊
不動明王
駐車場
無料駐車場あり - 地下駐車場。
交通機関
江ノ電腰越駅徒歩4分
住所
神奈川県鎌倉市腰越2丁目10-7

概要

腰越にある真言宗大覚寺派の寺院。 寺伝によれば、弘法大師空海が草創したと伝わる。 大正6年まで小動神社の別当寺であり、新田義貞の鎌倉攻めの際、小動神社に戦勝祈願した太刀を蔵していたといわれる。 明治になり学制が交付されると、付近の寺小屋が当寺に集められ発蒙学舎となり、現在の腰越小学校の前身となった。

見所

観光名所
本堂 - 秘仏本尊の不動明王像は、剣を持った手を交差し右にかざし、「左剣不動明王」と称される。
山門 - 魔除の目的で丹塗となっている。
小動神社 - 神仏分離後も引き続き別当寺で大正6年まで務めた。

行事

1月11日
初護摩
7/7~7/14
天王祭 - 江の島の江島神社末社の八坂神社の神輿が「龍人囃子」の行列で当社までの神輿渡御。各町の天王囃子の出迎え行列、武者人形や山車が練り歩き、かつては「西の祇園の花車、東は腰越の人形山車」と称されたほどの大祭。八坂神社とは夫婦神であり、五男三女の子供が祀られているので、神仏分離前は「八王子社」と呼ばれていた。鎌倉と藤沢という異なる市に属する神社の行合祭は珍しい。
8月10日
施餓鬼法要

歴史

平安時代初期
弘法大師が江島神社で修行されたと伝えられる。
1185~1189年
文治年間、治承・寿永の乱で活躍した佐々木盛綱が、江の島詣での途中に「小動の松」という風もないのにゆれる松があったという小動山に上り、そこからの眺望に魅了され、父祖の近江国の八王子宮を勧請し八王子宮(現在の小動神社)を創建した。
1333年
新田義貞の鎌倉攻めの際、八王子宮に戦勝祈願し、倒幕成就の後、太刀一振に黄金を添えて寄進し、それで社殿を再興した。
戦国時代
元秀によって中興された。
明治5年
学制が交付され、寺小屋が発蒙学舎(現在の腰越小学校)となった。
大正6年
小動神社別当の務めを終えた。
昭和29年
国道134号の工事中、墓地南側と小動神社境内から、開元通宝、治平通宝、政和通宝、洪武通宝、その他宋や明の古銭が千枚以上も出土した。
昭和30年
国道134号開通時に、江ノ電方面を向いていた山門と本堂が現在の位置に移された。

撮影後記

 しらすや本店のちょうど裏側にあたる寺院です。 もと青蓮寺の末寺であったそうですが、現在は大覚寺の末寺となっています。 鎖大師の先々代のご住職が大覚寺第53世になられたときに、移ったのでしょう。
 また、小動神社の別当を兼ねていたことから、檀家さんが江の島に多いそうです。 これは、江の島の江島神社との行合祭である天王祭が行われるよう、小動神社は江島神社と関係が深いからに他なりません。

更新履歴

2012年8月21日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月15日
ギャラリーに作品を4点追加しました。
2014年11月16日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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