鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
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鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
鎌倉大仏と長谷寺を擁す、鎌倉を代表する観光エリアのひとつである。 名称の由来は、長谷観音の門前町として、深沢村と甘縄村の土地の一部を併せた長谷村による。 この地は、藤原鎌足の子孫と称し、坂東八州の総追捕使で、「由比の長者」と呼ばれていたとも伝わる染屋時忠が屋敷を構え、鎌倉でも最も早くから栄えていた場所である。 長谷の鎮守である甘縄神明宮は、染屋時忠に建てられたといわれ、710年草創の鎌倉一の古社と伝わる。 鎌倉時代には、安達盛長が屋敷を構え、忍性によって施薬院が営まれ、鎌倉大仏が建立された。 近世になると、江の島参拝の経路でもあった長谷界隈は、鎌倉大仏と坂東観音霊場の札所である長谷観音への参拝者で賑わった。 近代、江ノ電の開通や大仏坂トンネルの開削で、鎌倉や藤沢からのアクセスが至便となり、より一層の観光客で賑わいを見せるようになった。
稲瀬川という小川流域に拓けた鎌倉屈指の人気エリアで、お土産などが軒を並べ、今更説明する必要もないでしょう。
鎌倉時代以前からの歴史ある地域ですが、かつて、この稲瀬川以西は深沢郷に属し、鎌倉郷には含まれていなかったようです。
奈良の長谷(泊瀬・初瀬)から命名されたと考えられていますが、佐助稲荷まで深く切り込む稲瀬川の谷(やつ)は「長谷大谷戸」ともいわれるので、もしかしたら、この長い谷に由来しているのかもしれませんね。
もう終わっちゃいましたが、大河ドラマ「平清盛」で、上川隆也さんが演じていた平盛国がいます。
最終回を見てはじめて知ったのですが、平家滅亡後に鎌倉に送られ、日夜一言も発する事なく食事を一切絶って餓死によって自害しました。
長谷には、その盛国の子である盛久の霊跡が残っています。
現地にある謡曲「盛久」解説板によれば、「盛久の処刑の時、持っていた経巻から光が発散し、処刑人は目が眩んで振り上げた刀を落とし、太刀も2つに折れてしまった。」とのことです。
後に頼朝によって処刑を許され、紀伊国の土地まで与えられます。
頼朝は父であった盛国の態度を称賛したと伝わることから、こういった伝説が語り継がれることになったのでしょう。
さすがは、鱸丸です。
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