鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
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鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
日本三長谷のひとつで、コッチでは長谷寺と言ったら奈良ではなく鎌倉の長谷観音のことを指すほど有名な寺院です。
海光山とする山号が示すよう、観音山の中腹に切り開かれた上境内にある見晴台からは、由比ヶ浜から遠く三浦半島まで望めます。
大仏に近いこともあるのでしょうが、外国人や小学生の先生方にも人気が高いようで、開山後まもなく小学生の団体をよく見かけます。
撮影に没頭していると、小学生に声をかけられるので相手をしてあげることもしばしば。
君たちありがとう。
ですので、境内はいつも賑やかです。
以上のように典型的な観光寺院ですが、花暦は鎌倉ナンバーワンで、何度足を運んでも足りません。
さながら華浄土のようで、花好きの方にとってはオススメです。
山号を海光山とする浄土宗系単立寺院。 院号を慈照院と称し、一般に長谷観音として親しまれている。 開山は徳道、本尊は十一面観音、坂東三十三箇所観音霊場第四番札所である。 開山の徳道は、奈良の泊瀬(長谷)山中にて楠の大木から二体の観音像を彫り、一体を大和の長谷寺に安置し、もう一体を祈請の上で海に流した。 その15年後にあたる736年に相模国長井浦(現横須賀市長井)に漂着し、これを鎌倉長谷の地に移し、藤原房前が創建したと伝わる。 寺伝によれば、奈良時代の天平八年(736年)創建とされるが、梵鐘の銘には文永元年(1264年)とあることから、鎌倉時代後期に寺が存在していたと考えられる。 当時は「新長谷寺」と呼ばれていた。 創建時は真言律宗だったと伝わり、室町時代には建長寺の塔頭が管理した。 足利尊氏が伽藍と諸像の修復を、足利義満が観音像の光背を修復した。 1607年、徳川家康による伽藍修復を期に浄土宗に改宗。 明治時代、単立寺院となった。 花暦が豊富な寺院であじさいが特に有名である。
住所: 神奈川県 鎌倉市長谷3丁目11-2
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