西御門

大倉幕府の西門

鶴岡八幡宮の北東側一帯で、源頼朝の墓がある。 地名は源頼朝が大倉幕府を建て、東西南北にあった門の西門に由来している。鎌倉幕府と鶴岡八幡宮との間にある谷戸の要衝地帯で、重臣や高僧たちがこの地に館を構えた。

西御門

西御門について

基本情報

名称
西御門(にしみかど)
指定
歴史的風土特別保存地区(八幡宮特別保存地区)
交通機関
鎌倉駅東口から徒歩、大学前バス停から徒歩
所在地
神奈川県鎌倉市西御門

概要

鶴岡八幡宮の北東側一帯で、源頼朝の墓がある。 地名は源頼朝が大倉幕府を建て、東西南北にあった門の西門に由来する。 西御門は「西帝谷」とも当て字された幕府と八幡宮との間にある要衝地帯で、重臣や高僧たちが館を構えた。 かつては、七つの寺院があったといわれているが、来迎寺と八雲神社のみが現存する。

見所

国史跡
法華堂跡(源頼朝墓) - 大倉幕府を見下ろす場所にある平場。1189年、源頼朝が建立した持仏堂は、死後に「法華堂」と呼ばれるようになり、頼朝の墓がある。当初1mほどの五輪塔だったものが、1779年に頼朝の子孫という薩摩藩主・島津重豪によって勝長寿院跡にあった層塔が移されたが、平成元年、さらに平成24年に破壊されてしまい改修されている。
法華堂跡(北条義時墓) - 頼朝の法華堂跡の東側山腹にある平場。平成17年の発掘調査で、北条義時のものと考えられる法華堂跡が確認された。法華堂跡の上にはやぐらがあり、大江広元の墓、その四男で毛利氏祖とされる毛利季光の墓、島津氏祖とされる島津忠久の墓がある。
法華堂跡(白旗神社) - 頼朝の墓の平場にあった法華堂が、江戸時代にはこの場所に建っていた。明治の神仏分離によって法華堂は廃され、明治5年、白旗神社として創建された。法華堂に安置されていた仏像は、来迎寺に移された。
市文化財
八雲神社庚申塔 - 境内にある庚申塔には、延宝八年(1680年)の銘が刻まれている。
市重要建築物
石川邸(旧里見弴邸) - 大正15年に作家・里見とんの住宅として自ら設計に携わり建築された建物で、建築家ライトの造形を鎌倉にいち早く取り入れた。昭和11年に里見氏が移転した後は、米軍接収やホテルとしても使われた。現在「西御門サローネ」として使用されている。
観光名所
来迎寺 - 1293年、大地震で亡くなった人々を弔うために、一向が建立したと伝わる時宗寺院。本堂に安置された県重文の如意輪観音像は、鎌倉地方特有の「土紋装飾」が施されて、鎌倉に七躰現存する仏像のひとつで艶美である。
八雲神社 - 「相模風土記稿」によれば「字大門の天王社」が前身という。現在の社殿は、天保三年(1832年)に建てられたものと伝わる。
太平寺跡 - 鎌倉尼五山第一位で、頼朝の命を助けた池禅尼の姪を開山として頼朝が建てたと伝わる。1556年、安房の里見義弘が攻め入った際、住職が安房に渡ったため、北条氏康によって廃寺とされた。仏殿は円覚寺に移築され(国宝舎利殿)、本尊の聖観音像は東慶寺に安置されている。
高松寺跡 - 廃寺となった太平寺跡地に、1642年に日蓮宗の尼寺として創建された。昭和になって宮城県に移転した。山門は鎌倉山の「らい亭」に移築されている。
報恩寺跡 - 昭和29年、第二中学校の整地をしているときに発掘された。1371年、関東管領の上杉能憲が臨済宗の義堂周信を開山に創建されたと伝わる。本尊の木像地蔵菩薩坐像は、現在来迎寺に安置されている。
東御門 - 大倉幕府の東門があったところ。昭和35年の宅地造営の際に多数のやぐらが見つかり、そのなかの五輪塔のひとつには延慶元年(1308年)が刻まれていた。

歴史

1180年
頼朝が鎌倉入りをし、この地に寝殿造の屋敷(御所)を構え、後の大倉幕府となった。
1189年
源頼朝が持仏堂を建立した。
1192年
征夷大将軍に就任するまで、侍所・公文所(政所)・問注所などをつくって幕府の基盤を整え、東西南北に御門を構えた。
1199年
頼朝が死去し、持仏堂が法華堂と呼ばれるようになった。
1282年頃
太平寺が創建された。
1293年
来迎寺が創建された。
1371年
報恩寺が創建された。
1556年
太平寺が廃寺とされた。
1642年
太平寺跡地に高松寺が創建された。
1779年
島津重豪によって勝長寿院跡にあった層塔が頼朝の墓に移された。
明治維新
神仏分離によって法華堂は廃され、白旗神社が創建された。
明治22年
西御門村が東鎌倉村の大字となった。
大正15年
里見弴邸が建築された。
昭和時代
高松寺が宮城県に移転した。
平成元年
頼朝の墓の上部が盗難された。
平成17年
北条義時のものと考えられる法華堂跡が発掘された。
平成24年
頼朝の墓の上部が破壊された。

撮影後記

 鎌倉時代初頭の武家政治の中心地となった大倉幕府は、現在の清泉小学校のあたりにありました。 現在でもこの西御門や、東御門という地名も残っています。
 このエリアの最大の見所と云えば、源頼朝の墓。 ひっそりとした場所にあり、見物人もそれほど多くはありません。 このためか、平成になってから2度の憂き目に遭っています。 平成元年には多層塔の上部の相輪という部分が盗難され、平成24年には多層塔上部や石燈籠が倒され、白旗神社の狛犬も破壊されてしまいました。

更新履歴

2014年10月22日
初版をアップロードしました。
2014年11月15日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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