佛行寺

躑躅寺

500年以上続く日蓮宗の古刹。梶原景時の変で滅ぼされた梶原源太景季とその妻の霊を慰めるため、佛行寺を建てたとされる。書院裏手の急斜面には一面にツツジが植えられ、ツツジの寺として知られている。

仏行寺のツツジ

佛行寺について

撮影後記

 鎌倉は武家の古都だけあって、血生臭い歴史に満ちています。 この佛行寺も歴史をひもとけば、梶原景時の変で殺された長男の源太を追って、この地で自害した妻を弔うためにこの寺を建てたとされています。 また、源太の片腕は、裏山の上に埋められているとされます。 ヨーロッパの草原には夏、一面に緋色のケシが咲きますが、それは第一次大戦で流れた兵士たちの血であるという話を聞いたこtがあります。 ここのツツジも裏山から流れて来た源太の血を想像してしまいました。
 怖い話はさておき、ここは鎌倉のツツジの名所である大町の安養院と異なり、さまざまなツツジがあるので、比較的長期間楽しめます。 住職さんに聞いたところ、オオムラサキと他の種のツツジが一斉に咲いたのは、今までで一度しかないそうです。 たとえがよくないですが、安養院は「吉野家」で、佛行寺は「すき家」といったところでしょうか。 ただし牛丼屋の繁盛具合とは異なり、大型連休のころの安養院はすごい人なので、こちらの方が落ち着いて鑑賞できます。

歴史・概要

日蓮宗の古刹。 山号を笛田山と号する。 1495年、佛性院日秀によって開かれる。 本尊は十界互具曼荼羅。 江戸時代までは仏光寺と称された。 山門は銅板を葺いた薬医門形式である。 本堂裏を登っていくと鎌倉時代の武将梶原源太景季の片腕が埋められているといわれる源太塚がある。 景季は木曾義仲追悼の戦いで武功をたてた武将である。 頼朝の死後、父景時とともに鎌倉を追われ、駿河で討ち死にをする。(梶原景時の変) その死を悲しんだ妻はこのあたりで自害した。 彼女の霊を慰めるため、佛行寺を建てたと寺伝にある。 正月三が日には笛田の鎮守である三島神社でお経を上げ、お題目を唱える習わしとなっている。 昭和30年代に崖崩れがあった場所にはツツジなどが植えられ、鎌倉のツツジの名所になっている。

住所: 神奈川県 鎌倉市笛田3-29-22

更新履歴

2010年8月15日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月15日
ギャラリーに作品を2点追加しました。

佛行寺紀行のコメント

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好清幽啊

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