収玄寺

花の寺

長谷にある日蓮宗寺院。この地は、北条義時の孫で日蓮の有力檀越であった四条金吾の屋敷であった。江戸時代、その屋敷跡に創建された。境内には所狭しと四季の花木野草が植えられ、花の寺として親しまれている。

収玄寺

収玄寺について

基本情報

山号寺号
四条山収玄寺(しじょうざんしゅうげんじ)
宗派
日蓮宗
創建
江戸時代
開山
妙詣尼(みょうけいに)
開基
四条金吾(四条頼基)
本尊
久遠の本師釈迦牟尼仏及び十界曼荼羅
駐車場
駐車場なし
交通機関
江ノ電長谷駅徒歩1分
住所
神奈川県鎌倉市長谷2丁目15-12
サイト
収玄寺

概要

長谷にある日蓮宗寺院。 この地は北条義時の孫で江間光時家臣であった四条金吾の屋敷であったといわれる。 四条金吾は、日蓮の有力檀越で、北条時宗によって日蓮が由比ヶ浜に引き立てられた際、殉死の覚悟で駆け付けたため、しばらく土牢に入れられ領地を没収されたが信念は曲げなかったといわれる。 江戸時代、この土地に住む妙詣尼が、金吾の屋敷跡に金吾の法名に因み「収玄庵」を開き、文政年間に安国論寺の日勇が中興した。 大正12年、光則寺の日慈によって本堂が再建され、「収玄寺」と号し、戦後正式に独立した。 境内には所狭しと四季の花木野草が植えられ、花の寺として親しまれている。

見所

観光名所
本堂 - 日蓮と四条金吾夫妻の尊像が祀られている。
四条金吾邸址の石碑 - この地は四条金吾の屋敷であった。四条金吾は、北条氏一族の江間氏(名越氏)に仕え、立宗当初からの門徒でもあった日蓮の有力檀越である。揮毫は、日蓮宗信者であった東郷平八郎元帥によるもの。

行事

3月15日
四条金吾頼基公御命日祥当法要

歴史

鎌倉時代
この地は北条義時の孫で江間光時家臣であった四条金吾の屋敷であったといわれる。
1271年
北条時宗によって日蓮が由比ヶ浜に引き立てられ、四条金吾が殉死の覚悟で駆け付けたため、しばらく土牢に入れられ領地を没収されたが信念は曲げなかった。
1296年
四条金吾が死去し法名「収玄院日頼」が贈られた。
江戸時代
この土地に住む妙詣尼が、四条金吾の屋敷跡に金吾の法名に因み「収玄庵」を開いた。その後、荒廃。
1818-1830年
文政年間、安国論寺の日勇が中興した。
大正12年
光則寺の日慈によって本堂が再建され、「収玄寺」と号した。
戦後
収玄寺として正式に独立した。

撮影後記

 長谷駅のすぐ近くにある小さなお寺です。 旧本山が光則寺ということもあるのか、手狭な境内に四季折々の花々が所狭しと植えられています。 ただ境内が狭くて、ワンポイント入れるのが難しいので、あまり撮影はしません。 花だけ撮るのが好きな人には、いいかもしれません。

更新履歴

2012年8月4日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月16日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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