鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
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鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
鎌倉の中心部から最も遠い場所にあるといってもいい寺院です。
寺の周辺には坂も多く、近くには「久成寺坂」や「ふあん坂」があります。
「ふあん坂」は玉縄城の曲輪で、本丸が清泉女学院高校のあたりにあったことからも、相当規模の大きな城郭だったことがわかります。
お寺に入ると、「概要・歴史」に記載したように徳川家となにかと仏縁があり、丸に葵を寺紋として本堂などにゴールドに装飾されています。
江戸時代には今以上に立派な寺院だったらしく、池泉回遊式庭園もあったそうですが、現在はありません。
駐車場のあたりがそうだったのかも。
また最近、堂宇の建て替えがあったので古刹の雰囲気はしません。
緑青が葺いた山門や、境内の石塔群にかろうじて感じられます。
観光寺院ではありませんが、植木の地名に恥じないくらい境内には四季折々の花が咲き、よく植木職人さんが手入れしています。
なかでも春のサクラが素晴らしく、これだけ種類が豊富で見事な花を付ける寺院は、鎌倉ではそうはありません。
1520年創建の山号を光円山とする日蓮宗寺院。 開山は日舜(にっしゅん)、開基は梅田尾張守秀長、本尊は三宝本尊である。 永正17年(1520年)、日蓮宗を信仰していた小田原北条氏家臣の梅田尾張守秀長が屋敷の土地を寄進して創建されたと伝わる。 4代住職の日顗(にちがい)が天下安泰を祈願し法華経三千部の読経をしたころ、徳川家康がその志に感銘し小田原攻めの途中に立ち寄った。 家康は祈祷を頼み、恩賞として寺領三石を与えた。 また、鷹狩りの際にも立ち寄り、日顗が庭に成っていた柚子を献上したところ、葵の紋の行厨や割子(弁当箱)を賜った。 江戸時代には、池に丹塗りの橋が架かっていたが、文政5年(1822年)の火災で焼失。 その後、本堂や庫裡などが再建され、さらに平成17年に改築された。 寺には、「鎌倉郡玉縄郷ノ内三石の事」と書かれた貞享二年付けの徳川綱吉印の朱印状が残されている。
住所: 神奈川県 鎌倉市植木494
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