鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
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鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
鎌倉とその外港である六浦津を結ぶ六浦路に掘削された切通しで、鎌倉七口のひとつ。 「朝夷奈切通」として国の史跡に指定されている。 仁治年間(1240年~1243年)頃に開通したと考えられ、「吾妻鏡」によれば、執権北条泰時自ら実地検分し、乗馬をもって土石を運んだという。 伝説では、和田義盛の三男 朝比(夷)奈三郎義秀が一夜にして切り開いたことから「朝比(夷)奈切通し」と呼ばれる。 峠付近には、最大18メートル掘り下げられた切岸の遺構が残り、やぐらや納骨堂跡もみられる。
鎌倉時代前期は北条氏による有力御家人の排斥が行われた時代です。
この頃、北条氏と三浦氏の争いが激しくなっていった時代で、三浦氏を凌駕するため三浦半島を経由せずに三浦氏の所領である安房に至るルートが必要でした。
塩を確保するために「塩の道」を造ったともいわれますが、鎌倉は海に面しているので、それよりむしろ、別ルート確保で鎌倉の外港である六浦津を手中に収めるためと考えるのが必然的かもしれません。
泰時自ら土木工事に寄与したのも、それだけ急務だったのでしょう。
伝説では、和田義盛の三男 朝比奈三郎義秀が一夜にして切り開いたといわれますが、三浦氏出身の義秀は、切通しが開通したといわれる時代より前に起きた和田合戦で敗れ、安房国朝夷郡へ逃れたことから、時代的にも必然的にも合致しません。
なにか裏があるのでしょうか。
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