甘縄神明神社

鎌倉一の古社

「甘縄神明宮」として親しまれる長谷の鎮守。710年草創の鎌倉一の古社と伝わる。相模守であった源頼義が、当社に祈願し八幡太郎義家授かったことから、源氏の信仰を集め、頼朝をはじめ、政子、実朝なども参拝した。

甘縄神明神社

甘縄神明神社について

基本情報

社名
甘縄神明神社(あまなわしんめいじんじゃ)
別称
甘縄神明宮(あまなわしんめいみや / あまなわしんめいぐう)
創建
710年(和同三年)
主祭神
天照大神
旧社格
村社
例祭
9月14日
駐車場
駐車場なし
交通機関
江ノ電長谷駅徒歩5分
住所
神奈川県鎌倉市長谷1丁目12ー1

概要

長谷の鎮守。 社伝によれば、710年に行基が草創し、この地の豪族 染谷時忠が創建した、鎌倉で最も古い神社と伝わる。 相模守だった源頼義公が、当社に祈願し源義家(八幡太郎)を当地で授かったと伝わり、以降、源氏の信仰を集めた。 「吾妻鏡」によれば、源頼朝が「伊勢別宮」と称し篤く崇敬し、北条政子や源実朝も参拝した。 明治になり、長谷の鎮守として村社に列格され、「甘縄神明宮」として篤く信仰されている。 社頭一帯は、安達盛長以来の安達氏の屋敷があったといわれ、文豪 川端康成も長らく居住した。

見所

国宝
川端康成記念館 - 文豪 川端康成は、二階堂から引っ越し、逗子で自殺するまでの晩年を社頭の地で過ごした。現在は子孫が居住し、国宝「十便十宜図」を所蔵。小説「山の音」は、この地がモチーフといわれる。(非公開)
観光名所
本殿 - 拝殿の背後に山に挟まれるように建っている。高台からは長谷の町や由比ヶ浜が見渡せる。
拝殿
北条時宗公産湯の井 - 時宗は安達氏出身の松下禅尼の孫で、この地にあったといわれる安達氏の屋敷で生まれた。
摂末社 - 五所明神社(長谷寺の旧鎮守)、秋葉社。
安達盛長屋敷跡 - 社頭一帯は源頼朝の流人時代からの側近で安達氏祖である盛長の屋敷があったといわれる。昭和53年の発掘調査で武家屋敷の遺構が発見された。
神輿山 - 裏山の神輿山は、万葉集「鎌倉の 見越の崎の 岩崩えの 君が悔ゆべき 心は持たじ」は、神輿山からの眺めとも。

祭事

3月26日
祈年祭
9月7日
例大祭(假屋祭)
9/14直近の日曜
例大祭(神幸祭) - 長谷町内の神輿渡御。
11月26日
新嘗祭

歴史

710年
行基が草創し、この地の豪族 染谷太郎時忠(藤原鎌足の玄孫)が山上に神明宮、麓に神輿山円徳寺を建立し、後に「甘縄院」と号したと伝わる。
1039年
相模守だった源頼義公が平直方の女と結婚し、当社に祈願し源義家(八幡太郎)を当地で授かったと伝わる。以降、源氏の信仰を集める。
1063年
源頼義が、社殿を修復した。
1081年
源義家が、社殿を修復した。
1186年
「吾妻鏡」によれば、源頼朝が「伊勢別宮」と称し篤く崇敬し、社殿を修理し、四方に荒垣と鳥居を建立した。
鎌倉時代
「吾妻鏡」によれば、北条政子や源実朝も参拝した。
明治維新
神仏分離で別当寺の甘縄院は廃絶した。
明治6年
長谷村の鎮守として村社に列格された。
明治20年
長谷寺の鎮守だった五社明神が合祀された。
昭和7年
社号を甘縄神明神社と改称した。

撮影後記

 海女が漁で使う縄が甘縄の語源ともいわれる甘縄神明宮。 長谷一帯は、海に近いこともあり、鎌倉でも最も早くから開かれていた地だったともいわれます。 鎌倉時代は、魚町の設置が許され、大町小町と共に商業で栄えたようです。 鎌倉一の古社が創建されたのが、ここ長谷の地というのも頷けます。 そして現在は、土産物屋が立ち並ぶ一大観光地。 そうした観光客で賑わう長谷ですが、この神社に足をのばすのは、人力車で連れてこられる方などごく一部。 観光地にありながら、とても静かな神社です。

更新履歴

2012年7月28日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月16日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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