江の島

湘南を代表する景勝地

周囲5kmの陸繋島で、湘南を代表する景勝地である。古代、修行の場で、源頼朝の祈願により弁才天を勧請し、時の為政者から聖域として保護されてきた。江戸後期になると庶民の参詣が盛んになり、現在に続いている。

江の島

江の島について

基本情報

名称
江の島、江ノ島(えのしま)
指定
県史跡名勝、日本百景
駐車場
有料駐車場あり
交通機関
小田急片瀬江ノ島駅徒歩5分、江ノ電江ノ島駅徒歩12分、湘南モノレール湘南江の島駅徒歩15分
所在地
神奈川県藤沢市江の島

概要

湘南を代表する景勝地であり、神奈川県指定史跡・名勝、日本百景の地である。 周囲約5km、標高60mほどの陸繋島で、片瀬海岸に砂州でつながる。 伝説では、西暦552年に相模湾に弁財天が天から舞い降り、海底より塊砂を噴き出し、21日で島ができたとされる。 古来、修行の場で、奈良時代には役小角が、平安時代には空海、円仁が、鎌倉時代には良信、一遍が参篭したといわれる。 源頼朝の祈願により文覚が弁才天を勧請したことをきっかけに、代々の将軍や御家人が参拝し、時代の為政者から聖域として保護されてきた。 江戸時代後期になると、庶民の参詣が盛んになり、宿坊も軒を連ねた。 明治35年に江ノ電が開通し、今なお多くの観光客を江の島に運んでいる。

見所

県史跡・名勝
江島神社 - ※ 江島神社紀行アップ時に記入します。
サムエル・コッキング苑 - 江の島頂上部にある観光施設で、明治期の貿易商人コッキング氏が、東洋最大の近代的温室をもつ植物庭園を造営したことが前身となっている。苑内に立つ展望灯台「江の島シーキャンドル」からは、関東一円が見渡せる。
児玉神社 - 大正10年創建の児玉源太郎陸軍大将を祀った神社。台湾総督を経て日露戦争において満州軍総参謀長を勤め日本を勝利に導いたことから、勝運の神として信仰されてきた。社殿は台湾から贈られたヒノキでつくられ、珍しい台湾の狛犬もある。
江の島大師 - 平成5年に創建された鹿児島にある高野山真言宗最福寺の別院。本堂には国内最大級ともいわれる高さ6mの赤不動像が本尊として安置されている。参拝自由で、毎日行われる護摩行に参加することができる。
岩本楼 - 参道商店街にある鎌倉時代にルーツがある老舗旅館で、ローマ風呂は国の登録文化財。江の島三宮の総別当職を務めた岩本院(岩本坊、江嶋寺とも)は、江戸時代には将軍や大名などの宿泊所として利用され、明治初年に旅館となって「岩本楼」と改名した。
恋人の丘 - 江の島縁起の天女に恋した五頭龍伝説にちなんで設置された「龍恋の鐘」がある。多くの若者やカップルが鐘を鳴らし、フェンスには永遠の愛を願った南京錠が無数に結ばれている。眺望も利き、伊豆大島が望める。
聖天島公園 - もともと聖天島という島であったが、元禄地震で隆起して陸続きになり、東京オリンピックで湘南港が造られた際に周囲が埋め立てられた。古来、八坂神社の天王祭の際に禊が行われる神聖な場所でもあったため社があり、鎌倉時代の僧・良真上人の像が安置されている。
山二つ - 奥津宮への参道途中にある江の島のくびれた部分で、眼下に断崖の絶景が展開する。道の脇には関東ローム層が露出している。江の島のローム層は、富士山と箱根火山の噴火によるもので、火山灰の鉄分が酸化して赤茶色となる。
稚児ヶ淵 - 幅50mにわたって隆起した海食台地からは、相模湾の向こうに伊豆半島や富士山が望め、「かながわの景勝50選」に選定されている。かつて稚児の白菊が身投げした伝説に因む。稚児ヶ渕句碑、龍燈松碑、服部南郭詩碑、佐羽淡斉詩碑、芭蕉句碑、八雲庵碑、永瀬覇天朗句碑が立っている。磯釣りの名所としても知られる。
岩屋 - 有料の海食洞窟で、富士山の氷穴に通じているといわれる第1岩屋と、龍神伝説の地といわれる第2岩屋がある。弘法大師や日蓮上人も修行し、源頼朝が奥州征伐を祈願したとも伝えられている。
福石 - 江戸で盲目の鍼医であった杉山和一が、この石につまずいて転倒し、偶然に拾った竹筒に松葉が入っていた。これをヒントにして杉山式管鍼法を考案し、盲人の最高位である検校にまで出世した。ここで物を拾うと福が授かるといわれる。
群猿奉賽像庚申塔 - 市指定重要有形民俗文化財の珍しい四角柱の石塔。四面には36匹の猿がユーモラスに陽刻されている。
木食上人古跡 - 木食仏という仏像を彫って諸国を放浪した遊行僧「木食上人」が修行したと伝わる洞窟が崖下にあり、石造阿弥陀如来立像が安置されている。現在、危険なために見学不可。
山田検校顕彰碑 - 検校(盲人の役職の最高位)の座像が100年忌の大正6年に幸田露伴らによって建てられた。江戸に生まれた山田検校は、幼くして失明するものの、琴を学び山田流琴曲の開祖となった。代表作に江の島に滞在して構想を練った「江の島曲」 がある。
国登録文化財
岩本楼ローマ風呂 - 老舗旅館岩本楼の洋風浴室で、昭和5年頃の建築。ガラスドームを架け、壁面には壁泉やヴェネツィア窓風飾り、脱衣室境には孔雀模様のステンドグラスを嵌めている。
県文化財
旧江の島惣別当岩本院文書(「江の島縁起」、古河公方関係文書・小田原北条氏関係文書) - 藤沢市文書館収蔵。
市文化財
杉山和一の墓 - 江戸時代の鍼灸師。検校(盲人の役職の最高位)であることから「杉山検校」と称される。鍼の施術法の一つである管鍼法を創始し、世界初の視覚障害者教育施設「杉山流鍼治導引稽古所」を開設した。
江の島弁財天道標 - 市内12基指定のうち、1基が島内の福石脇に立っている。
観光名所
モース記念碑 - 日本初の海洋生物学の発祥地であることを記念して、昭和60年に建立。大森貝塚の発見者として知られるエドワード・モース博士は、明治10年にシャミセンガイの採集と研究のため江の島を訪れ、東洋初の臨海実験所を設立した。
オリンピック記念噴水池 - 昭和39年の東京オリンピックのヨット競技会場となったのを記念して造られた噴水池。中央に江の島の象徴である弁財天、そのまわりを5輪にちなんだ世界の女性像が立っている。
湘南港(ヨットハーバー) - 東京オリンピックで、競技用ハーバーとして建設された。ヨットハウスのほか、クルーザーヨット泊地、ディンギー陸置場などがある。見学者はセンタープロムナードを散策したり、さざえ島に登ったり、タイドプ-ルで潮遊びなどが楽しめる。 ヨットの帆のイメージを表した灯台が立っている。
県立かながわ女性センター - 昭和57年に開館した、男女共同参画社会の実現に寄与するための施設。 女性労働の歴史を学ぶうえで貴重な資料である「山川菊栄文庫」が併設されている。
弁天橋 - 昭和24年に造られた片瀬と江の島を繋ぐ橋。東京オリンピック開催にあわせて自動車専用の「江の島大橋」が造られ、歩道、自転車用となった。江の島への橋は、明治24年に架けられた川口村村営の桟橋が最初。

行事

1月1日
初日の出 - みどりの広場付近からは東側の眺望が利く。「江の島展望灯台から見る初日の出」もある。
1月下旬-2月上旬
江の島歌舞伎フォーラム公演 - 隔年で、かながわ女性センターで開催される。
2月~3月
エノシマトレジャー - 体験型宝探しゲーム。暗号の書かれた宝の地図を手掛かりに、江の島と藤沢駅南部の隠れた宝物を見つけ出す。
3月中旬
湘南江の島春まつり - 白浪五人男のパレードや大道芸大会など。
4月5日頃
ダイヤモンド富士 - 江の島弁天橋や営業時間が延長されたシーキャンドルから富士山頂に夕日が沈む光景が見られる。
4月下旬
ノルウェー・フレンドシップレース - 第18回東京オリンピックのヨット競技に選手として出場されたノルウェーのハラルド皇太子が、2001年に国王として訪日されたことを記念して行われるようになった国際ヨットレース。
5月中旬
杉山検校祭 - 関東近隣の鍼灸マッサージ師が集い、杉山検校墓前で祭儀を行う。
5月下旬
Na Kupa - かながわ女性センターで開かれるフラとウクレレのワークショップとコンサート。
5月下旬
江の島モース祭 - モース博士を記念し、碑前祭、モース記念室・モース臨海実験所跡見学、記念講演会などが開催される。
6月下旬-7月上旬
湘南音祭 - 湘南港の特設野外ステージで開かれる野外ロック・フェスティバル。
8月
江の島灯籠 - 島内各所が灯篭によってライトアップされる。
8月第1火曜日
江の島花火大会 - 片瀬西浜沖で打ち上げられる。湘南海岸で唯一打ち上げられる2尺玉が見物。
9月6日頃
ダイヤモンド富士 - 江の島弁天橋や営業時間が延長されたシーキャンドルから富士山頂に夕日が沈む光景が見られる。
9月下旬
江の島音楽祭 - かながわ女性センターで開催され、江の島を愛する音楽家と江の島を愛する人々が集う音楽祭。
10月中旬
湘南江の島秋まつり - ミュージックステージや大道芸大会など。

歴史

約2万年前
侵食、海進により島となった。
552年
相模湾に弁財天が天から舞い降り、海底より塊砂を噴き出し、21日で島ができたと伝わる。
672年
役行者が江の島を開基し、島全域が聖域として扱われるようになったと伝わる。
814年
弘法大師空海が岩屋に参拝し、岩屋本宮を創建したと伝わる。
1182年
源頼朝の祈願により文覚が弁才天を勧請し、江島神社が建立された。
鎌倉時代
執権や将軍などが参詣した。
1282年
一遍が鎌倉入りを拒まれ、江の島へ渡島したと伝わる。
1296年
江の島が隆起して、徒歩で渡れるようになった。
室町時代
室町幕府鎌倉府の保護のもと、御料所となった。
戦国時代
小田原北条氏により庇護された。
1600年
徳川家康が参拝した。
1640年
岩本院と上之坊との間で利権争いが起こり、岩本院は上之坊を奴属化させた。
1674年
徳川光圀が参拝した。
1703年
元禄地震で、聖天島が隆起により半島状になった。
江戸時代後期
弁天信仰が盛んになり、江戸から多くの町民が江の島道を通り参拝した。
明治元年
江の島村は一旦韮山県に所属し、11月に神奈川県となった。
明治6年
神仏分離令により、与願寺が江島神社となり、岩本院が旅館「岩本楼」として開業した。
明治10年
モース博士が江ノ島臨海実験所を設営した。
明治13年~15年
アイルランド人貿易商のサムエル・コッキングが、江の島頂上部の社地を購入して別荘や庭園を造営した。
明治22年
町村制施行により、江ノ島村が片瀬村と合併して鎌倉郡川口村となった。
明治24年
江の島に初めて桟橋が架けられた。
明治35年
江ノ電の藤沢から片瀬までが開通した。
大正7年
児玉神社が創建された。
大正12年
関東大震災により、島全体が2メートル近く隆起して海食台が現れた。
昭和4年
小田急江ノ島線が開通し、片瀬江ノ島駅が開業した。
昭和8年
町制施行で、川口村が片瀬町となった。
昭和22年
片瀬町が藤沢市へ編入合併された。
昭和24年
木造の江の島桟橋が架け替えられ、コンクリート橋脚の「江の島弁天橋」(有料)となった。コッキングの庭園跡地を整備し、「江の島熱帯植物園(江の島植物園)」が開園した。
昭和37年
東京オリンピック開催のため大規模に埋め立てられ、島面積は約1.5倍となった。自動車専用橋「江の島大橋」が開通し、「弁天橋」の通行が無料となった。
昭和38年
湘南港、江の島ヨットハーバー、江の島漁港が開設された。
昭和39年
東京オリンピックのヨット競技会場となった。
平成5年
江の島大師が創建された。
平成15年
植物園が整備され、江の島サムエル・コッキング苑が開園した。

撮影後記

 概要で説明しきれなかったこととして、タイワンリスのことがあります。 珠に目撃するのですが、鎌倉周辺ではタイワンリスの被害に悩まされています。 なんでもかじってしまう性質だから問題で、カワイイからといって観光客など餌付けをしてしまうのですよね。 昭和26年に伊豆大島から連れてきたタイワンリスを江の島植物園で飼育し、台風で飼育小屋が壊れて逃げ出したのが原因とも考えられているそうです。 東側は三浦丘陵止まりでしょうが、もし相模川バリアを越えて西側に拡散したら全国に繁殖してしまうので大問題ですよね。

更新履歴

2014年11月11日
初版をアップロードしました。
2014年11月14日
ギャラリーに作品を13点追加しました。
2014年11月18日
ギャラリーに作品を2点追加しました。

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