六浦地域

六浦道

横浜市金沢区の南端地域。古代、入り江となっており製塩が盛んであった。鎌倉時代に朝夷奈切通が開削されると、「六浦道」が整備され、相模湾に面した鎌倉に対し、江戸湾側の六浦は鎌倉の外港として繁栄していく。

六浦

六浦地域について

基本情報

名称
六浦(むつうら)
交通機関
京急六浦駅、金沢八景駅から徒歩、バス利用
所在地
神奈川県横浜市金沢区六浦・六浦町・六浦東・六浦南・大道・瀬戸

概要

横浜市金沢区の南端に位置する地域で、古くは武蔵国久良岐郡六浦荘六浦郷。 古代、瀬戸神社の北西側一帯は入り江となっており、塩田が設けられ製塩が盛んであった。 鎌倉時代に朝夷奈切通が開削されると、鎌倉と六浦を結ぶ「六浦道」が整備され、塩などが運ばれる要路となった。 「六浦津」「六浦湊」とも呼ばれ、相模湾に面した鎌倉に対し、江戸湾側の六浦は鎌倉の外港として繁栄していく。 江戸時代には、六浦に陣屋を置いた米倉家の六浦藩(金沢藩)が支配し、明治4年の廃藩置県により六浦県に属した。

見所

観光名所
瀬戸神社 - 古代、当社北西一帯は入江で、狭い海峡で平潟湾につながり、海水が出入りする「瀬戸」であった。源頼朝は罪穢を流し去る場所として、三嶋大社の分霊を勧請した。江戸時代には、金沢八景の舞台として大衆も参詣した。社頭の平潟湾には境内社の琵琶島神社がある。
金龍院 - 臨済宗建長寺派の寺院。永徳年間(1381年~1384年)、建長寺47世 方崖元圭が創建したと伝わる。境内裏山にある「九覧亭」からの眺望は、金沢八景随一といわれ、幕末から昭和初期まで賑わいを見せた。
上行寺 - 日蓮宗寺院で、「六浦のお祖師さま」として親しまれている。六浦湊で回船問屋を営んでいた六浦平次郎(後の日荷)が、日祐に帰依し、鎌倉時代に創建された。寺には、日蓮の「船中問答」の逸話も残る。
宝樹院 - 真言宗寺院。もとは六浦三艘にあったが、伽藍を焼失したため、1650年に当地に移転した。平安時代作の阿弥陀三尊像は県の重要文化財。本堂前には、小泉純一郎の父祖である小泉又次郎と純也の墓が並ぶ。
光傳寺 - 1573年頃創建の浄土宗寺院。本尊の阿弥陀如来像には、開基となった六浦の豪勇 長野六右衛門が悪行を悔いるという縁起物語が伝わる。また、県文の地蔵菩薩像は「たけくらべの地蔵」と称され親しまれてきた。
泥牛庵 - 臨済宗円覚寺派の禅刹。鎌倉時代末期に、円覚寺第11世が、隠居所として六浦の地に創建したと伝わり、1727年に現在地に移った。山寺号の「吼月山泥牛庵」とは、禅語「泥牛吼月」に由来するものと思われる。
上行寺東遺跡(引越のやぐら群) - 昭和59年、中世のやぐら群が発見された。二段の平場と下部崖面から構成されていて、6つの建物跡、43のやぐら、400基の五輪塔、200体の人骨が出土した。
瀬戸橋 - 瀬戸と洲崎を結ぶ石橋。江戸時代中期まで、瀬戸橋より北側の金沢文庫駅や手子神社あたりまで内海が広がっていて、ここは狭い海峡であった。1305年には、金沢貞顕が瀬戸橋を架け、六浦と金沢が陸路でつながると町屋・寺前などが発展していった。
厄神様(やくじんさま) - 戦国時代、戦に敗れた里見義弘がこの場所で力尽き、この土地の守護神となった。六浦に疫病が流行した時に、三艘村だけは悪疫から免れたので、厄除けの神様「厄神様」として信仰を集めている。
文殊堂跡 - 小田原北条氏の家臣で、「玉縄18人衆」と称される朝倉景高の持仏が祀られた文殊堂があった。現在、三艘町内会館に文殊菩薩像が安置されている。
小泉又次郎誕生地碑 - 小泉純一郎元首相の祖父である又次郎氏の生誕地で、養子で純一郎氏の実父純也氏によって建立された。昭和30年代までは生家があった。逓信大臣を二度歴任し、「刺青大臣」の名を馳せた。
権現山 - 金沢八景駅西側に広がる山で紅葉が美しい。東照宮が祀られていたことから「御伊勢山」と呼ばれる。茅葺きの建物は円通寺の客殿。明治初期に東照宮の別当寺であった円通寺は廃寺となり、東照宮は瀬戸神社に合祀された。

歴史

古代
武蔵国久良郡に属していた。
1180年
瀬戸神社が創建された。
1240~1243年
仁治年間、朝夷奈切通が開削された。
1247年
武蔵国六浦庄の名が見られる。
1305年
金沢貞顕が瀬戸橋を架けた。
1381~1384年
金龍院が創建された。
1573年頃
光傳寺が創建された。
1650年
宝樹院が創建された。
1703年
心越禅師の漢詩に対し、京極高門が和歌で金沢八景の景色を称えた。
1722年
米倉氏が六浦引越村に移り住み、六浦藩(金沢藩)が成立した。
1727年
泥牛庵が移転してきた。
明治43年
製塩地整理法によって塩田が廃止された。
明治22年
三分村、釜利谷村、泥亀新田飛地が合併した久良岐郡六浦荘村に属した。
昭和5年
湘南電気鉄道(京浜急行)が黄金町・浦賀間と金沢八景・逗子間に鉄道を開通させた。
昭和11年
横浜市磯子区に編入された。
昭和23年
金沢区が磯子区より独立した。
平成元年
金沢シーサイドラインが開通した。

撮影後記

 地名の語源は不明です。 鎌倉時代の文書には「六連」「六面」とも書かれていますが、昔の地形の模型を見ると、海岸線が入り組んでいて、六つの浦があったからなのでしょうか。
 なお、ここで紹介する六浦地域とは、旧六浦荘村の金沢地域・釜利谷地域・富岡地域は含めていません。 古くは六浦荘という荘園があって、六浦・金沢・釜利谷・富岡の4郷から成り立っていて、昭和初期に横浜市に編入されるまでは、六浦荘村と呼ばれていました。

更新履歴

2014年11月8日
初版をアップロードしました。
2014年11月14日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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