鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
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鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
JR大船駅東側に広がる市街地から六国見山にかけての地域で、大船地区と高野地区から成る。 柏尾川の氾濫原で、古代、湿地帯に丘が点在する地域であったという。 鎌倉時代から江戸初期までは「粟船」「青船」と書かれ、次第に「おおふな」と読まれていった。 北条泰時が此の地に粟船御堂(現在の常楽寺)を建てた頃、一帯は入江で、粟を積んだ船が出入りしていたという。 これが語源の一説とされている。 「大舟」と改称されたのは、正保元年(1644年)頃で、元禄十年(1697年)には、「大船」という記述が見られる。 明治21年に大船駅が開業すると、柏尾川右岸の玉縄地域に変わって、駅の東側が開発され商業地として発展していく。 昭和11年には大船競馬場の跡地に、松竹大船撮影所が蒲田から移り、開発に一層拍車がかかった。 昭和62年、土地区画整理によって「高野」の新町名が生まれた。
大船高校近くに鎮座する旧大船地域の鎮守である熊野神社。
今も続いている甘粕氏の先祖が守護神として建てたそうです。
甘糟氏は相模平氏出身で、室町時代には上杉氏、戦国時代には玉縄北条氏に仕えてきた一族。
甘糟氏を忍ばせる旧跡に、大船駅西側の柏尾川にかかる戸部橋付近に「玉縄首塚」があります。
安房の里見軍が攻め込んだ際には、戸部川を挟んで対峙し、甘糟氏以下35名が討ち死にしました。
毎年8月19日には、「玉縄首塚まつり」が開催され、灯籠流しが行われます。
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