鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
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鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
通称、大塔宮。 明治2年、明治天皇がこの地で悲運の死を遂げた護良親王を祀るために創建された。 天皇自らが創建された唯一の神社である。 建武中興十五社の一社で、官幣中社に列格された。 護良親王は、「建武の中興」につくされたものの、足利尊氏と対立し、この地にあった東光寺の土牢に9か月間幽閉された後に斬首された。 境内には、親王が幽閉されていたとされる土牢が復元保存されている。 毎年10月上旬には、鎌倉の秋の風物詩「鎌倉薪能」が幽玄に奉納される。
二階堂のバスの終点にある神社。
その昔、この辺りは北鎌倉にある東慶寺の寺領だったところで、後醍醐天皇の命で護良親王の皇女が東慶寺5代目として入寺し用堂尼と呼ばれました。
怨霊をも恐れぬ武士との違いでしょうか。
東慶寺には護良親王の幼名「尊雲法親王」が書かれた位牌が祀られています。
また、護良親王は公家の藤原保藤の娘の南方とのあいだに子をもうけ、その子は大町の妙法寺を実質的に開いた日叡(にちえい)として知られています。
妙法寺の裏山には、日叡が弔ったといわれる母の南方の墓とともに、父の護良親王の墓もあります。
ただし、こちらは宮内庁管理下の正式な墓ではありません。
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