小袋谷

鎌倉街道の要衝

大船と台に挟まった横須賀線沿いの細長い地域で、鎌倉街道が戸塚と藤沢に分岐する交通の要衝である。地名は大船と共に湿地・水辺に由来する。台との境を流れる小袋谷川の堰用水をめぐって、度々論争が起こっている。

小袋谷

小袋谷について

基本情報

名称
小袋谷(こぶくろや)
交通機関
大船駅・北鎌倉駅から徒歩、湘南モノレール富士見台駅から徒歩
所在地
神奈川県鎌倉市小袋谷

概要

大船と台に挟まった横須賀線沿いの細長い地域で、鎌倉街道が戸塚と藤沢に分岐する交通の要衝である。 地名は大船と共に湿地・水辺に由来する。 鎌倉時代には山内荘巨福呂郷のうちで、北条泰時の別邸があり、田地が円覚寺塔頭雲頂庵に寄進されている。 戦国時代には小田原北条氏の支配を受け、箱根権現の領地となる。 江戸初期は天領、元禄十年に旗本の松前氏、幕末に彦根井伊家の知行地となる。 台との境を流れる小袋谷川の堰用水をめぐって度々論争が起こっている。 昭和42年には小袋谷の大船寄りが、大船一・三・四丁目、台一丁目に住居表示変更された。

見所

市文化財
厳島神社石造庚申塔 - 寛文十年(1670年)の銘。
観光名所
成福寺 - 1232年創建の本願寺派の古刹で、市内唯一の浄土真宗寺院である。北条泰時の子である北条泰次が、鎌倉に招かれた親鸞に帰依し創建した。寺宝の聖徳太子像は、そのとき親鸞から贈られたものと伝わる。
厳島神社 - 成福寺裏の亀甲山にある小袋谷の鎮守。もとは成福寺の鬼門除けの境内八幡社。昭和になって、横須賀線踏切外側にあった弁天社と小袋谷公会堂にあった吾妻社の三社が合祀され厳島神社となった。
でんすけ山刑場跡 - 小袋谷踏切のあたりにあった小山で、昔の刑場跡といわれる。昭和23年に宅地造営で崩され、人骨や石像が出土した。現在は平井家墓地に移されている。

歴史

平安~鎌倉時代
山内荘の一部であった。
鎌倉時代
北条泰時の別邸があった。
1232年
成福寺が創建された。
1501年
円覚寺塔頭雲頂庵に寄進された。
1519年
箱根神社に寄進された。
江戸時代初期
天領であった。
1697年
旗本の松前氏の知行地となった。
幕末
彦根井伊家の知行地となった。
明治22年
小袋谷村が小坂村の大字となった。
昭和8年
小坂村が大船町へ改称した。
昭和23年
大船町が鎌倉市へ編入された。
昭和42年
小袋谷の大船寄りが、大船一・三・四丁目、台一丁目に住居表示変更された。

撮影後記

 小袋谷の三叉路で北に折れ上大岡に向かう鎌倉街道(横浜街道)は、旧来の鎌倉街道ではなく新道で、「横丁通り」と呼ばれていました。 旧鎌倉街道はというと、水堰橋のところで斜めに分かれ、成福寺の脇を通って笠間の方へ向かっている細い市道です。 水堰橋のたもとに享保十二年(1727年)の道標があって、「右とつか 左藤さわ」と刻まれているそうです。

更新履歴

2014年10月23日
初版をアップロードしました。

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