鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
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鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
大船と台に挟まった横須賀線沿いの細長い地域で、鎌倉街道が戸塚と藤沢に分岐する交通の要衝である。 地名は大船と共に湿地・水辺に由来する。 鎌倉時代には山内荘巨福呂郷のうちで、北条泰時の別邸があり、田地が円覚寺塔頭雲頂庵に寄進されている。 戦国時代には小田原北条氏の支配を受け、箱根権現の領地となる。 江戸初期は天領、元禄十年に旗本の松前氏、幕末に彦根井伊家の知行地となる。 台との境を流れる小袋谷川の堰用水をめぐって度々論争が起こっている。 昭和42年には小袋谷の大船寄りが、大船一・三・四丁目、台一丁目に住居表示変更された。
小袋谷の三叉路で北に折れ上大岡に向かう鎌倉街道(横浜街道)は、旧来の鎌倉街道ではなく新道で、「横丁通り」と呼ばれていました。 旧鎌倉街道はというと、水堰橋のところで斜めに分かれ、成福寺の脇を通って笠間の方へ向かっている細い市道です。 水堰橋のたもとに享保十二年(1727年)の道標があって、「右とつか 左藤さわ」と刻まれているそうです。
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