山ノ内

鎌倉禅の中心地

北鎌倉駅を中心とする地域で、鎌倉禅の名刹が林立している。平安時代後期の開発領主であった山内俊道の山内荘が地名の由来。北条義時が山内荘を手中に収めると得宗領化が進み、大規模の禅院が相次いで創建された。

山ノ内

山ノ内について

基本情報

名称
山ノ内(やまのうち)
別称
北鎌倉
指定
歴史的風土特別保存地区(円覚寺、建長寺・浄智寺特別保存地区)
交通機関
JR北鎌倉駅から徒歩
所在地
神奈川県鎌倉市山ノ内

概要

横須賀線北鎌倉駅を中心とする地域で、鎌倉禅の名刹が林立している。 平安時代後期の開発領主であった山内俊道の山内荘(大船地域から横浜市栄区や戸塚区まで含む広大な荘園)の遺称が地名の由来。 また、柏尾川支流の山之内川(小袋谷川)が造成した山に囲まれた地形から名付けられたとも考えられる。 和田合戦における御恩として、北条義時が山内荘を手中に収めると得宗領化が進み、建長寺、円覚寺、浄智寺、東慶寺などの大規模の禅寺が相次いで創建されるようになった。 室町時代には、山内上杉氏が関東管領の要職についた。

見所

国史跡
建長寺 - 1253年の創建の臨済宗建長寺派大本山。開基は鎌倉幕府第5代執権北条時頼で、開山は宗からの渡来僧である蘭渓道隆(大覚禅師)である。鎌倉五山第一位の禅刹で、日本で初めての禅専門の大道場として広く知られる。
円覚寺 - 臨済宗円覚寺派総本山で、北条時宗が元寇での菩提を弔うため無学祖元を招き、1282年に創建した禅刹。かつて夏目漱石が参禅したことはよく知られる。都心から直接アクセスでき、駅を降りるとそこが境内という立地から、手短に俗塵を離れることができる。
浄智寺 - 臨済宗円覚寺派の禅刹で、鎌倉五山第四位の禅格をもつ。執権・北条時頼の三男・宗政の菩提を弔うため、1281年の創建と伝わり、開山が三人もの高僧による寺である。境内には四季折々の花々や名木が植えられている。
明月院 - 臨済宗建長寺派の寺院。1380年、山ノ内上杉家の祖、関東管領上杉憲方は、密室守厳を開山として、明月院を開創した。境内は、日本古来の青いヒメアジサイが随所に植えられ「あじさい寺」として有名である。
亀ヶ谷坂 - 山ノ内と扇ガ谷を結ぶ鎌倉七口(鎌倉七切通)のひとつで、鎌倉から武蔵へ通じる鎌倉街道中ノ道の基点であった。建長寺に住んでいた亀が、あまりの急坂のため引き返したという逸話も残り、「亀返坂」とも称された。
市史跡
瓜ヶ谷やぐら群 - 5穴のやぐらがあり、鎌倉時代のものと考えられている。地蔵菩薩像が安置されている最大のやぐらは、「地蔵やぐら」と呼ばれ、五輪塔や壁面彫刻が見られる。
市重要建築物
去来庵 - 昭和初期に建築された和風の別荘建築。現在レストランとして利用され、数奇屋風の門、手入れの行き届いた敷地内の樹木などが一体となって、近代の別荘文化を体験することができる。
観光名所
東慶寺 - 「縁切寺」「駆け込み寺」として広く知られる臨済宗円覚寺派の名刹。封建時代、縁を切りたい妻は、当寺に駆け込めば離縁できる女人救済の尼寺であった。また、「花の寺」としても大変人気があり参拝者で賑わう。
円応寺 - 臨済宗建長寺派の寺院で、もとは長谷や由比ヶ浜にあり、江戸時代に建長寺門前に移転した。別名「閻魔堂」「十王堂」とも呼ばれ、仏殿には運慶作と云われる閻魔大王を中心とした冥界の十王像が安置されている。
長寿寺 - 1323年~1336年頃に創建された臨済宗建長寺の塔頭。初代鎌倉公方・足利基氏が、父・尊氏の菩提を弔うため、尊氏の屋敷跡に建立したと伝わる。境内奥のやぐらには、尊氏の遺髪を埋めたとされる尊氏の墓がある。
光照寺 - 時宗の総本山、藤沢の遊行寺の末寺。江戸時代に隠れキリシタンを光照寺が庇護していたという伝承が残る。門の欄間にはクルス紋(十字の紋)が掲げられている。カンヒザクラ、雪柳、レンギョウなどが美しい。
葛原岡神社 - 後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基を祭神に、明治20年に創建された。由比ヶ浜の鎮守である。日野俊基は、元弘の変で捕らえられ葛原ヶ岡で斬首された。境内には俊基の墓とされる宝篋印塔がある。(住所は梶原だが北鎌倉に掲載)
八雲神社 - 鎌倉時代創建の山ノ内の鎮守。元仁元年(1224年)疫病が流行し、村人が京都祇園社の神霊を勧請し、安寧を祈ったのが起源という。寛文五年(1665年)の銘が記された庚申塔は、鎌倉最大最古のものである。
第六天社 - 山ノ内上町地区の氏神で、建長寺の南方鎮守社。建長寺四方鎮守で唯一存在と沿革が判明している社である。最近まで社殿に第六天像と四天王像が安置されていたが、盗難に遭ってしまった。例祭は毎年7月に行われる。
十王堂橋 - 小袋谷川に架かる「鎌倉十橋」のひとつで、土地の者は「じゅうどうばし」と呼ぶ。昔、この近くに十王堂があり、安置されていた十王像は、円覚寺塔頭桂昌庵に移された。そのため、桂昌庵は「十王堂」と呼ばれている。また、付近には陰陽師安倍晴明にまつわる「晴明石」もあったという。
十王岩 - 天園ハイキングコースにあるやぐらの奥壁とみられる岩で風化が進行している。毎夜わめいたといわれ、「喚十王」とも呼ばれた。十王岩付近からは、由比ヶ浜にむかって延びる若宮大路や相模湾を望め、「かながわの景勝50選」に選定されている。
葉祥明美術館 - 平成3年に開館した洋館風の私設美術館。ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞受賞作家である絵本作家・葉祥明の初期の作品から、水彩画・油彩画・デッサンなどの原画を展示している。

歴史

平安時代
山内荘の一部であった。
平安時代末期
皇室領に寄進され、ついで長講堂領とされた。
1213年
北条義時が山内荘を手中に収め、鎌倉に近いこの地区は得宗領化していく。
1224年
八雲神社が創祀された。
1240年
北条泰時が山ノ内道を修造し、この頃に亀ヶ谷坂が開削された。
1253年
建長寺が創建された。
1281年
浄智寺が創建された。
1282年
円覚寺が創建された。
1285年
東慶寺が創建された。
1333年
新田義貞の鎌倉攻めでは、北の要衝にあたることから激戦地となった。
1380年
明月院が創建された。
1704年
材木座から円応寺が当地に移転した。
明治22年
山之内村がが小坂村の大字となった。
昭和8年
小坂村が大船町へ改称した。
昭和23年
大船町が鎌倉市へ編入された。

撮影後記

 夏目漱石の小説「門」の主人公である宗助は、北鎌倉の円覚寺に踏み入れたとき、世の中と寺の中の区別を悟りましたが、まさにその表現がピッタリ。 関東の駅百選にも選ばれている、どこか古きよき佇まいをみせる駅を出ます。 そうすると、おかしな話ですが、鎌倉にやってきた感じがして、いつも不思議に思います。 そして、禅刹の谷戸奥へと足を延ばせば、さっきまでの都会の生温いような空気と、この岩にしみいるような空気感の違いはなんなのだろうと。 ほんの数十分で経験する感覚の差異に魅せられ、鎌倉へと足蹴に通うきっかけになったように思えます。 どうもそう感じるのは私だけではないようで、「鎌倉時間」という言葉もあるらしいのですが。

更新履歴

2014年10月22日
初版をアップロードしました。
2014年10月28日
ギャラリーに作品を2点追加しました。
2014年11月6日
ギャラリーに作品を1点追加しました。
2015年11月2日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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