建長寺

鎌倉五山第一位

1253年の創建の臨済宗建長寺派大本山。開基は鎌倉幕府第5代執権北条時頼で、開山は宗からの渡来僧である蘭渓道隆(大覚禅師)である。鎌倉五山第一位の禅刹で、日本で初めての禅専門の大道場として広く知られる。

建長寺

建長寺について

撮影後記

 日本で初めて純粋禅の大道場で、往時は千人を越す雲水が修行していたそうです。 現在でも禅林で修業する修行僧や1泊2日程度の宿泊坐禅会が催されていています。 ただ、座禅と聞いてイメージする、厳しい只管打坐とは異なり、臨済宗系なので、そこは違うかと思いますが、参加したことはないのでわかりません。 今度、宿泊坐禅会に参加してみようかな。
 また、お茶会やら、ときどきコンサートも催されていますね。 これは知りませんでしたが、2003年には、あのサザンオールスターズが、三門をステージとしてライブを行ったそうです。 というのも、桑田佳祐が鎌倉学園(敷地内にある学校)出身ということかららしいです。 放課後や早朝に、頑張って半僧坊まで昇り降りしている鎌倉学園の学生さんをいつも見ているので、夏の高校野球神奈川県予選などは、自分とは関係ない高校ですが、つい鎌学野球部を応援してしまいます。

概要・歴史

山号を巨福山とする臨済宗建長寺派大本山。 1253年(建長5年)の創建で、開基は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山は蘭渓道隆(大覚禅師)である。本尊は地蔵菩薩。 鎌倉五山の第一位で、日本で初めての禅専門の大道場(すでに京都建仁寺や鎌倉寿福寺などの禅宗系寺院があったが、禅宗と他宗との兼学であり、純禅道場としては、北九州の聖福寺などに次ぐ。)として広く知られる。 元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる罪人の処刑場で、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺が建っていた。 本尊が地蔵菩薩であるのはこれによる。 開山の蘭渓道隆は宗の禅僧で、33歳で来日し、はじめ筑紫、そして京都に住んだ後、1248年に鎌倉入りし大船の常楽寺に住し、そして建長寺を創建する。 創建当時は、禅宗様式七堂伽藍に四十九院の塔頭を有し厳然たる天下の禅林であった。 道隆の禅風は、純粋禅を受け継いだ厳格なもので、会話は中国語が使われていたという。 その後、京都建仁寺に移ったり、スパイ容疑で甲斐に流されたりと紆余曲折があったが、のちに許され建長寺住持に再度復帰し、66歳で生涯を閉じた。 1293年、鎌倉大地震により建造物の大半が倒壊炎上し、その後たびたびの火災で創建当初の建物を失う。 そのため、修復費用のために元へ幕府公認の貿易船が派遣され、「建長寺船」と呼ばれたことはよく知られる。 江戸時代には徳川家の援助で主要な建物が新築または他所から移築されたが、1923年の関東大震災で大きな被害を受けた。 現在の伽藍配置は、総門から三門・仏殿・法堂・方丈が一直線に並ぶ宋風の禅宗様式に則している。 文化財では、蘭渓道隆の頂相である「絹本淡彩蘭渓道隆像」、修行道場における作法などをのべたものである「大覚禅師墨蹟 法語規則」、建長寺創建当時の数少ない遺品の1つの「梵鐘」が国宝指定を受けている。

住所: 神奈川県 鎌倉市山ノ内8

更新履歴

2010年10月30日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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