本蓮寺

龍口寺輪番八ヶ寺

片瀬にある日蓮宗寺院で、龍口寺輪番八ヶ寺のひとつ。境内には、源頼朝が馬を繋いだといわれる「鎌倉殿駒牽の松」や、宗尊親王が謀反の疑いで帰洛の途中、当山に立ち寄り詠んだ、「宗尊親王歌碑」がある。

本蓮寺

本蓮寺について

基本情報

山号寺号
龍口山本蓮寺(りゅうこうざんほんれんじ)
宗派
日蓮宗
寺格
龍口寺輪番寺
創建
伝 595年(推古天皇3年)
開山
義玄(ぎげん)
中興開山
日秀(にっしゅう) - 1304年、日蓮宗に改宗。
本尊
日蓮上人像 - 子安日蓮と称せられる。
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
湘南モノレール湘南江の島駅徒歩3分、江ノ電江ノ島駅徒歩5分
住所
神奈川県藤沢市片瀬3丁目4-41

概要

片瀬にある日蓮宗寺院で、龍口寺輪番八ヶ寺のひとつ。(龍口寺は、明治19年まで専任住職が入山せず、片瀬・腰越の八ヶ寺が輪番で維持していた。) 寺伝によれば、聖徳太子の師である恵慈の弟子 義玄により創建され、その後、真言宗寺院となったと伝わる。 その後、源頼朝により再建され、1304年に日秀が日蓮宗に改宗した。 日蓮が龍ノ口法難の後、当寺に宿泊し、津村の女を安産に導いたといわれ、日蓮上人像は「子安日蓮」と称せられる。 境内には、源頼朝が父 義朝の首と対面したとき馬を繋いだともいわれる「鎌倉殿駒牽の松」や、皇族将軍だった宗尊親王が、謀反の疑いで帰洛の途中、当山に立ち寄り詠んだ、「宗尊親王歌碑」がある。

見所

観光名所
本堂 - 昭和6年の再建。本尊の日蓮上人像と三宝本尊を安置。
山門 - 昭和6年の再建。三つ葉葵の紋が刻まれている。
総門 - 平成19年の再建。江戸時代は仁王門であった。
多宝塔 - 平成元年の建立。楠の釈迦像や檀家の位牌を祀る。お盆に公開される。
鎌倉殿駒牽の松 - 源頼朝が馬をつないだといわれる二代目の松。先代の松は昭和15年に切られた。源頼朝は、ここで父の源義朝の首を送り届けて来た後白河法皇の勅使と対面し、供養したとも伝わる。
宗尊親王歌碑 - 皇族将軍だった宗尊親王は、謀反の疑いで将軍職を解任され帰洛の途中、当山に立ち寄り、「帰りきて また見ん事も 固瀬川 にごれる水の すまぬ世なれば」と詠んだと伝わる。
西行もどり松 - かつて西行がこの地を訪れ、松を都の方へ押し曲げ懐かしんだと伝わる。

歴史

595年
聖徳太子の師である恵慈の弟子 義玄により創建され、その後、真言宗寺院となったと伝わる。
1184年
源頼朝により「源立寿寺」として再建された。
1271年
日蓮が龍ノ口法難の後、当寺に宿泊し、津村の女を安産に導いたといわれる。
1304年
日秀(下野房)が日蓮宗に改宗した。
1649年
江戸幕府より朱印地七石を賜った。

撮影後記

 片瀬の旧鎌倉エリアにある寺のうちのひとつ。 常立寺と共に龍口法難以前の創建であり、伽藍は他の輪番寺に比べ立派です。 寺伝では、飛鳥時代の創建だそうですが、実質的には平安末期か鎌倉時代の創建でしょう。
 なお、山門前に「写真撮影ご遠慮願います」という立札があったので、山門の外から撮った写真だけを掲載しています。

更新履歴

2012年6月29日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年11月1日
登録カテゴリを湘南モノレール沿線から移動しました。

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