龍宝寺

玉縄北条氏の菩提寺

1503年創建の曹洞宗寺院で、玉縄城を本拠地としていた玉縄北条氏の菩提寺として隆盛した。明治から大正にかけては玉縄学校(現玉縄小学校)としても使われた。花暦の大変豊かな花の寺で、芍薬は特に有名である。

龍宝寺

龍寶寺について

撮影後記

 大船フラワーセンターに程近く、境内には植物園から譲り受けた植物が多く、珍しい植物もあります。 いつ来ても花が咲いていて、花好きの人にとってはたまらないお寺さんであります。 ここはいわば、「龍宝寺フラワーセンター」だと思っています。 また、観光地の鎌倉地区にないため観光寺院でもなく、採れたタケノコが本堂に置かれていたことがあり、どうぞ持って行ってくださいとか、静かで田舎のお寺のようです。
 平日の午後に来ると、元気な声も聞こえてきます。 境内には幼稚園があって、お母さんが迎えに来るまで活動的な子は裏山に登ったり。 都会のなかで、これほど自然豊かな環境で遊べる子供たちは幸せだなと思います。

概要・歴史

山号を陽谷山とする曹洞宗寺院。 開山は泰絮宗栄、開基は北条綱成、本尊は宝冠釈迦如来。 玉縄城を本拠地としていた玉縄北条氏の菩提寺として隆盛した。 寺伝によると、1503年、北条綱成が建立した瑞光院(香花院)が起源という。 1575年、三代城主の北条氏勝によって現在地に移され、氏勝の父である二代城主北条氏繁の戒名から「龍寳寺」という寺号になった。 当初、七堂伽藍を備えた大寺院であったが、豊臣秀吉の小田原攻めで小田原北条氏が滅ぼされ、玉縄城に籠城した氏勝も降伏すると、寺は衰退した。 氏勝は後に徳川家康の家臣となり下総岩富1万石の藩主となった。 江戸時代、新井白石の知行地で、江戸に向かう朝鮮通信使の宿泊地として龍寶寺を使用させた。 明治10年代、玉縄学校(現玉縄小学校)が山内に移り、50年間にわたって学校として使われた。 本堂には歴代玉縄城主や源実朝の位牌が安置されている。 元禄年間に建てられた茅葺きの山門を除き、現在の建物は昭和30年代の再建。 境内には、関谷で名主をつとめた江戸中期の旧石井家住宅や玉縄民族資料館がある。

住所: 神奈川県 鎌倉市植木128

更新履歴

2011年8月3日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月19日
ギャラリーに作品を3点追加しました。

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