常立寺

枝垂れ梅

日蓮宗寺院で、龍口寺輪番片瀬八ヶ寺のひとつ。龍ノ口刑場で処刑されたものを埋葬供養した跡地だと云われている。元寇の時代、処刑された元の国使を弔う五輪塔が境内に残る。枝垂れ梅の名所としても知られる。

常立寺

常立寺について

撮影後記

 現住所は藤沢市ですが、片瀬の龍ノ口辺りは、鎌倉時代には一遍上人絵巻物などから推測すると腰越に属していたと云われています。 鎌倉との結びつきが強いの場所なので、鎌倉特集に組み入れています。
 枝垂れ梅の名所として初春には賑わう寺ですが、モンゴルとも結びつきがある寺でもあります。 平成17年には、朝青龍や白鵬らモンゴル出身の大相撲力士らが元使塚を参拝しました。 平成19年には、大統領のナンバリーン・エンフバヤル夫妻も参拝しました。 現在、青い布(青はモンゴルで英雄を意味する)で五輪塔が巻かれているのは、そのためです。

概要・歴史

山号を龍口山とする藤沢市片瀬に建つ日蓮宗寺院。 開山は日豪、本尊は一塔両尊。 龍ノ口刑場で処刑されたものの屍を埋葬して塚を築き供養したのがこのあたりであった。 最初、利生寺(りしょうじ)という真言宗寺院であった。 1275年、杜世忠をはじめとする元の国使6名が鎌倉幕府へ降伏を勧めに来日し、北条時宗の命によって龍ノ口の刑場で処刑された。 境内に残る六基の五輪塔は、このときのものだと云われている。 永正年間(1504年~1521年)に、藤沢大庭の日豪が当寺で日蓮の法話を度々し、名主の鈴木隼人をはじめとする檀家が日蓮宗に改宗した。 天正年間(1573年~1592年)に日政が入山し、正式に日蓮宗寺院となった。 第9世日行のときに身延山の末寺となり、龍口寺を輪番で守った。(片瀬八ヶ寺) 明治19年、輪番制はなくなった。 大正15年、元使650年記念のとき、元使塚が建てられた。 現住は鎌倉本覚寺永倉日侃貫首が代務住職をしている。 枝垂れ梅の名所としても知られる。

住所: 神奈川県 藤沢市片瀬3丁目14-3

更新履歴

2011年8月27日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月1日
登録カテゴリを湘南モノレール沿線から移動しました。

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