野島公園

金沢八景「野島夕照」

歌川広重の金沢八景「野島夕照」に描かれた平潟湾に浮かぶ野島にある都市公園である。園内には展望台や旧伊藤博文金沢別邸があり、人工の埋め立てがされていない横浜市内唯一の自然海浜では、潮干狩りが楽しめる。

野島公園

野島公園について

基本情報

名称
野島公園(のじまこうえん)
駐車場
有料駐車場あり
交通機関
金沢シーサイドライン野島公園駅から徒歩5分
所在地
神奈川県横浜市金沢区 野島町・乙舳町
サイト
横浜市緑の協会 野島公園

概要

横浜市金沢区の平潟湾に浮かぶ野島の東京湾側の都市公園である。 江戸時代には「金沢八景」が漢詩や浮世絵に描かれ、江の島と並び称される遊覧の地として江戸庶民や文人墨客も訪れた。 歌川広重の浮世絵では、公園の位置する野島山の東側が「野島夕照(のじまのせきしょう)」、西側が「平潟落雁(ひらがたのらくがん)」に描かれている。 野島山山頂にある360度見渡せる展望台からは、東京湾、平潟湾を一望できる。 園内には初代内閣総理大臣の伊藤博文により建築された旧伊藤博文金沢別邸があり、市の有形文化財に指定されている。 野島海岸は人工の埋め立てがされていない市内唯一の自然海浜で、あさりなどの潮干狩りが楽しめる。

見所

市文化財
旧伊藤博文金沢別邸 - 明治31年、初代内閣総理大臣の伊藤博文により建築され、平成21年に一般公開された。木造平屋建の寄棟茅葺屋根の邸内では、伊藤博文に関する資料や調度品などを展示している。庭園からは乙舳の海が一望でき、牡丹園ではボタンやシャクヤクなどが咲く。
観光名所
展望台 - 野島山山頂の海抜57mにある360度見渡せる展望台。東京湾、平潟湾を一望でき眼下に海の公園や八景島シーパラダイスが広がり、遠く富士山や房総半島を望むことができる。
野島稲荷神社- 野島町の鎮守。安貞元年(1227年)阿波守長島維忠の発願により、その子修理佐頼勝が造立した。万治年間(1658年~1661年)野島南端の海辺に紀州徳川家祖 徳川頼宣の別邸「塩風呂御殿」があり、御殿の鬼門の守護神として庇護を受けた。
金沢八景教会 - 昭和31年に創立した日本キリスト教団の教会。毎日曜日の朝に礼拝、クリスマスイブにはキャンドルサービスがある。
野島海岸 - 人工の埋め立てがされていない市内唯一の自然海浜である。海中にはアマモやアイアシなどが泳ぎ、アサリ、アオヤギ、マテ貝などの潮干狩りが楽しめる。
キャンプ場 - テントやタープを持ち込んでのキャンプ体験ができる。移動式バーベキュー炉のレンタルがあり、キャンプファイアーも可能。
バーベキュー場 - 材料・道具・燃料を持ち込んでのバーベキューができる。
隧道 - 太平洋戦争下、帝国海軍の飛行艇格納庫として構築された地下基地で、使用されずに終戦を迎えた。現在は封鎖されて通行することはできない。

歴史

縄文時代
野島貝塚から野島式土器が発見され、既に人が住んでいた。
1227年
野島稲荷神社が創建された。
1703年
心越禅師の漢詩に対し、京極高門が和歌で金沢八景の景色を称えた。
江戸時代後期
浮世絵師 歌川広重(安藤広重)の「金沢八景」の一景「野島夕照(のじまのせきしょう)」で野島が描かれ、土地の土豪である永島亀巣が泥亀新田を完成させた。
明治31年
伊藤博文が金沢別邸を建てた。
昭和19年
野島への渡し船が廃止され、六浦との間に夕照橋(はじめ徴用橋のちに八紘橋)が架けられた。
昭和20年
洲崎との間の運河開削によって完全な島となった。
太平洋戦争
野島地下に帝国海軍の飛行艇格納庫として地下基地が構築された。
戦後
横浜市が立てた大臨海公園の計画に基き、国有地の無償貸与を受け、隣接民有地も買収した。
昭和31年
野島公園が開園した。
平成21年
旧伊藤博文金沢別邸が一般公開された。

撮影後記

 野島はかつて独立した島であったものが、乙舳(おっとも)海岸の砂州が伸びて州崎村と陸続きになったそうです。 昭和20年には洲崎との間の運河開削によって、再び完全な島となって現在に至っています。
 なお、このページでは野島のなかの野島公園を取り上げています。 野島の他の風景は、「金沢紀行」の方に掲載しています。

更新履歴

2015年10月17日
初版をアップロードしました。

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