八雲神社(山ノ内)

山ノ内の鎮守

鎌倉時代創建の山ノ内の鎮守。元仁元年(1224年)疫病が流行し、村人が京都祇園社の神霊を勧請し、安寧を祈ったのが起源という。寛文五年(1665年)の銘が記された庚申塔は、鎌倉最大最古のものである。

八雲神社(山ノ内)

八雲神社(山ノ内)について

撮影後記

 鎌倉にある四つの八雲神社のひとつ。 八雲神社の建っている場所は、鎌倉時代に「四角四鏡祭」が執り行われる祀場だったそうです。 「四角四鏡祭」とは、疫病除けのため鎌倉の四隅で行った祓いの儀式。 北の境界がこの八雲神社になっていたのでしょう。 調べてみると、鎌倉で疫病が流行した1224年の四角四鏡祭は、ここ山内(山ノ内)で、十年後の1234年は、もうチョイ北の小袋坂で執り行われたとありました。
 それから、最近流行りのパワースポットの話題も。 大船の多聞院紀行をアップしたときにも書きましたが、十王堂跡から移された「晴明石」が境内に埋められています。 道路工事で邪魔になり、霊験あらたかなここに移されたそうです。 知らずに踏めば脚が丈夫になり、故意に踏めば脚に難が起こるのだとか。 そういえばギャラリーに掲載した「西日を浴びる境内」の撮影のときに、踏んだような記憶があります。 知らずに踏んでよかったかな。 知らぬが仏とは云いますが、あまり知りすぎるのも問題ありきですね。

概要・歴史

鎌倉時代創建の山ノ内の鎮守。 「相模風土記」によれば、元仁元年(1224年)疫病が流行し、村人が京都の祇園社(八坂神社)の神霊を勧請し、村の安寧を祈ったのが起源という。 古くは「午頭天王社」と称した。 室町時代、山内を拠点とした関東管領の上杉憲房も篤く信仰した。 憲房が武運長久を祈願して、祇園社から勧請したという説もある。 境内に残る寛文五年(1665年)の銘が記された庚申塔は、鎌倉最古で最大のものである。 また、平安時代の陰陽師・安倍晴明が残したと伝わる「晴明石」があり、除災の石として知られている。 毎年7月20日には神輿渡御が行われ、山崎の北野神社との「行合祭」で、二基の神輿が行列をなして山ノ内界隈を練り歩く。

住所: 神奈川県 鎌倉市山ノ内585

更新履歴

2011年9月3日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年11月20日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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