鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
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鎌倉 四季の花紀行
Kamakura: Ancient Home of the Samurai Clans
鎌倉市の西南端に位置し、藤沢市片瀬と七里ヶ浜との間の相模湾に面するエリア。 鎌倉への宿駅にあたり、古来より漁村として栄えてきた。 鎮守として信仰を集める小動神社、源義経の腰越状で知られる満福寺、龍口寺輪番寺の小寺が数多く建っている。 江の島を望む腰越海岸は、シーズン中は海の家が建ち海水浴客で賑わう。 腰越漁港はシラスが特産品として有名で、シラス漁は毎年3月11日から年末まで行われる。 朝採れたシラスは、「生シラス」として朝市において販売されたり、天日干しされ「チリメンジャコ」に加工される。 付近には新鮮な「生シラス」「釜揚げシラス」などを食べることができる店も多い。
腰越と津の辺りは、境界が入り組んでいたり飛地があったりと複雑です。 これは、歴史の項で記しましたが、もとはひとつの村で、江戸時代の悪代官から村人が分離した結果によるもの。 代官の縁者が持つ土地は津、それ以外の者が持つ土地は腰越とされたことによります。 この腰越北部は、「湘南モノレール沿線」カテゴリの「西鎌倉地域」の方で紹介しています。 そして、腰越という語源は諸説あるようです。 「江ノ島縁起」では、その昔、深沢にあったとされる湖に五頭竜が住み、津村に出没しては十六人もの子供を食らったため、村人は住み慣れた土地を泣く泣く離れたといいます。 このことから「子死越」「子死恋」と呼ばれ、転訛して「腰越」になったと伝わります。 龍は水、津は港にも関係するので、はるか昔、神戸川が氾濫したり津波などの被害があり、このような伝承になったのかもしれません。 「風土記稿」によれば、北方が高く、南に相模湾に面した低く肥沃な土地が広がっていたため、山の越を越えて移住してきたためと記されています。
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