補陀洛寺

平家の赤旗

材木座にある真言宗寺院で、1181年、源頼朝が鎌倉の南方(補陀洛浄土)に位置するこの地に祈願所として建立した。寺宝として、壇ノ浦の戦いで総大将 平宗盛が最後まで掲げた大将旗「平家の赤旗」が今に伝わる。

補陀洛寺

補陀洛寺について

基本情報

山号寺号
南向山補陀洛寺(なんこうざんふだらくじ)
別称
竜巻寺
宗派
真言宗大覚寺派
創建
1181年(養和元年)
開山
伝 文覚
開基
伝 源頼朝
本尊
十一面観音菩薩
札所
鎌倉観音巡礼 第17番
駐車場
駐車場なし
交通機関
材木座バス停徒歩2分
住所
神奈川県鎌倉市材木座6丁目7-31

概要

材木座にある真言宗寺院。 たびたび竜巻などの自然災害に襲われ、別名「竜巻寺」とも呼ばれた。 1181年、源頼朝が文覚を開山に、鎌倉の南方(補陀洛浄土)に位置するこの地に、祈願所として建立し、七堂伽藍をもつ大寺院であったと伝わる。 寺宝として多数の仏像の他に、「平家の赤旗」と呼ばれる軍旗が残る。 壇ノ浦の戦いで総大将 平宗盛が最後まで掲げた大将旗と伝わり、伝 平清盛筆による「九万八千軍神」と書かれている。 敗軍の将として鎌倉に護送された際に頼朝に献上され、当寺に奉納されたといわれる。

見所

観光名所
本堂 - 関東大震災で倒壊後、大正13年の再建。本尊の十一面観音像、智証大師作で平家打倒を祈願した不動明王像、行基作の薬師如来像、運慶作の日光・月光菩薩像、頼朝自作の源頼朝像、文覚自作の文覚上人裸形像などを安置。(いずれも後世の作と考えられる。)
サルスベリ - 樹齢150年ともいわれる古木。
平家の赤旗 - 壇ノ浦の戦いで総大将 平宗盛が最後まで掲げた大将旗と伝わり、伝 平清盛筆による「九万八千軍神」と書かれている。敗軍の将として鎌倉に護送された際に頼朝に献上され、当寺に奉納されたといわれる。4月の鎌倉まつりから大型連休頃まで公開している。

歴史

1181年
源頼朝が文覚を開山に、鎌倉の南方(補陀洛浄土)に位置するこの地に観世音菩薩を祀り、祈願所として建立したと伝わる。
中世
七堂伽藍をもつ大寺院であったと伝わる。
1352~1356年
文和年間、鶴岡八幡宮の供僧 頼基が復興したと伝わる。
明治元年
火災で焼失。
大正12年
関東大震災で本堂が倒壊した。
大正13年
本堂が再建された。

撮影後記

 材木座の入り組んだ路地にある小寺で、もと手広にある鎖大師青蓮寺の末寺。 現在は大覚寺派となっています。 ここも青蓮寺の先々代のご住職が大覚寺第53世になられたときに、移ったのでしょう。
 別名「竜巻寺」とも称されるそうで、有難くない別称をいただいたものです。 よって、自然災害や火災などで縁起が失われてしまったそうです。 数年前も、材木座の来迎寺などで竜巻の被害が遭ったばかりで、海と山がある材木座は、竜巻の発生しやすい地形なのかもしれません。
 あと特筆すべきは、寺宝に平家にまつわるものがあることかな。 伊勢や京都をはじめ、西日本を本拠地とした平氏にとって、東国の鎌倉でお目にかかれるのは比較的珍しいのではないでしょうか。(真偽は別として) 赤旗の周囲が千切れているのは、近世に瀬戸内海で疫病が流行った際、切れ端を煎じて飲むと霊験ありきといわれ、ちぎって送ったからだそうです。 明日の大河ドラマ「平清盛」最終回は、壇ノ浦も舞台になるであろうし、そんなわけで当寺を選び、本日アップした次第です。

更新履歴

2012年12月22日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年11月17日
ギャラリーに作品を2点追加しました。

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