光触寺

頬焼阿弥陀

1279年創建の十二所にある時宗寺院である。寺宝として、鎌倉時代の数少ない絵巻物である「頬焼阿弥陀縁起」があり、当寺本尊の阿弥陀如来像の霊験を描いたものとされ、いずれも国の登録有形文化財になっている。

光触寺

光触寺について

基本情報

山号寺号
岩藏山光触寺(がんぞうざんこうそくじ)
宗派
時宗
創建
1279年(弘安二年)
開山
作阿
開基
一遍
本尊
阿弥陀三尊
札所
鎌倉三十三観音霊場 第7番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
十二所バス停徒歩1分
住所
神奈川県鎌倉市十二所793

概要・歴史

十二所にある時宗寺院。 寺伝によれば、はじめ真言宗寺院であったが、1279年に一遍に帰依した作阿が時宗に改宗したと伝わる。 寺宝として、鎌倉時代の数少ない絵巻物である頬焼阿弥陀縁起があり、当寺本尊の阿弥陀如来像の霊験を描いたものとされる。 いずれも国の登録有形文化財になっている。 花歴も豊富で、春の藤、初夏の花菖蒲、秋の彼岸花が境内に色を添える。

見所

国文化財
木造阿弥陀如来及両脇侍立像 - 鎌倉時代作の本尊。頬焼阿弥陀縁起に出てくるのは本像であると伝わる。(拝観は10人以上で予約)
紙本淡彩頬焼阿弥陀縁起 - 鎌倉時代作の数少ない絵巻物。比企ヶ谷にあった岩蔵寺の阿弥陀如来像(伝 当寺本尊の頬焼阿弥陀)の霊験を描いたもの。(鎌倉国宝館寄託)
市文化財
頬焼阿弥陀三尊画像 - (鎌倉国宝館寄託)
観光名所
本堂 - 1859年の再建。本尊の阿弥陀如来像のほか、聖観音像や源実朝が創建した大慈寺(廃寺)本尊の仏頭といわれるものが安置されている。
山門 - 18世紀前期の建築。
塩嘗地蔵 - 明治30年に朝夷奈切通付近から移された。 六浦の塩売りが鎌倉入りの際に、初穂として地蔵に供えたが、帰りには塩が無くなっていたので、地蔵が嘗めたのだろうという逸話が残る。

撮影後記

 見所でスペースの都合で書けなかった頬焼阿弥陀の縁起をここで説明します。 1215年頃、仏師運慶は、鎌倉の町局の依頼で阿弥陀如来像を48日で完成させた。 その頃、町局の家では物が無くなることが多く、仕えていた万才法師が犯人とされた。 町局は、法師の頬に火印を押すように下人に命じたのですが、不思議なことに焼印の跡が付かなかったのです。 その夜、町局の夢枕に阿弥陀如来が現れ、「どうして私の顔に焼印を押すのか」と仰ったのです。 驚いた町局が阿弥陀如来像を見ると、頬には焼印の跡が残っていました。 町局は、阿弥陀さまが、いつも念仏を唱えていた法師の身代わりになったのだと悟りました。 その後、比企ヶ谷に岩蔵寺(火印堂)を建て、この阿弥陀如来像を祀り、73歳で往生したと伝えられ、万才法師は、大磯に庵を結び一心に念仏を唱え極楽往生したとのことです。

更新履歴

2012年8月18日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

光触寺紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

京都

京都紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野