大宝寺

佐竹氏屋敷跡

1444年創建の日蓮宗寺院。常陸の御家人「佐竹屋敷跡」と伝えられる。佐竹義盛が屋敷近くに多福寺を建立し、廃寺となった後、日出が寺号を大寶寺に改名し復興した。境内には、佐竹氏の守護神社の多福明神社がある。

大宝寺

大寶寺について

撮影後記

 ギャラリーの方では、佐竹氏の「五本骨扇に月丸」の家紋が裏山のピークが5つあるから、それを模ったと書きました。 「吾妻鏡」によれば、佐竹秀義が頼朝に従って奥州合戦に侍従したとき、頼朝と同じ無紋の白旗だったので、頼朝から扇を与えられ、白旗に付けて家紋にしたともいわれます。 頼朝は、「無文の白旗」を源氏嫡流の旗とし、御家人にはそれぞれ印を付けさせました。 当時は、源氏と平家の2者しかライバルがいなかったため、平家は赤旗、源氏は白旗というシンプルな構図で済んでいました。 複雑な家紋が現れてくるのは、この例のように、鎌倉時代以降ということになります。 大宝寺の本堂が白いのも意味があるのでしょう。

概要・歴史

文安元年(1444年)創建の山号を多福山とする日蓮宗寺院。 開山は日出(にっしゅつ)、開基は佐竹義盛、本尊は三宝祖師。 常陸の御家人「佐竹家屋敷跡」と伝えられる。 佐竹氏の遠祖・源義光(新羅三郎義光)は「後三年の役」で武功をたて、日頃から信仰していた多福大明神の加護によるものとし、この地に多福明神社を建てた。 源頼朝が、この地を義光の子孫・佐竹秀義へ奉公として与えられ屋敷を構えた。 その後、代々の佐竹氏の居館となった。 室町時代の1399年、佐竹義盛が出家し、屋敷のそばに多福寺を建立した。 大町の八雲神社に合祀し廃寺となった後、1444年に本覚寺を開いた日出が復興し、多福寺の寺号を山号に残し、大寶寺に改名した。 1499年、妙法寺の日証が八雲神社から多福大明神を再び勧請した。

住所: 神奈川県 鎌倉市大町3丁目6-12

更新履歴

2011年9月10日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月17日
ギャラリーに作品を2点追加しました。

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