和賀江島

日本最古の現存港湾

材木座海岸沖にある中世築港の跡で、現存最古の港湾施設である。玉石を積んだ埠頭が海中に突き出て、現在では満潮時にほぼ海面下に沈む。六浦が鎌倉の外港となるまでの百年間、鎌倉の海の玄関口となり賑わった。

和賀江島

和賀江島について

基本情報

名称
和賀江嶋(わかえのしま)
通称
和賀江島(わかえじま)
指定
国史跡
駐車場
駐車場なし
交通機関
鎌倉駅東口から飯島バス停下車、リビエラ逗子マリーナ前下車
所在地
神奈川県鎌倉市材木座・逗子市小坪

概要

材木座海岸にある中世築港の跡で、1232年にできた現存最古の港湾施設である。 現存する貴重な港湾遺跡として国の史跡に指定されている。 玉石を積んだ埠頭が海中に突き出て、現在では満潮時にはほぼ全域が海面下に隠れてしまう。 六浦が鎌倉の外港となるまでの百年間、鎌倉の海の玄関口となり、鎌倉七座のひとつとして材木座は商人で賑わった。 中世には極楽寺の管理下に置かれ、維持管理と関銭津料の徴収を認められ、江戸時代末ごろまで漁港として使われていた。

見所

国史跡
和賀江嶋 - 現存する日本最古の築港。大潮の干潮時に姿を見せるが、満潮時にはほぼ海面下に隠れてしまう。
てんがしま - 関東大震災の翌年に建立された石碑があったが、2009年の台風で倒壊。
飯島岬 - かつて和賀江嶋と陸続きだった。飯島白鬚社の祠がある。
観光名所
六角ノ井 - 飯島岬近くにある「鎌倉十井」のひとつ。八角井戸であるが鎌倉側に六角、小坪側に二角であることから六角の井と呼ばれる。
よじべえ石 - かつて海底にあった巨岩で、漁師の網が切られたりしていた。関東大震災で隆起して現れ、現在は鶴岡八幡宮に安置されている。

歴史

鎌倉時代初期
和賀江や飯島や西浜と呼ばれ、既に船の出入りが多く商人で賑わっていた。
1231年
勧進聖の往阿弥陀仏(おうあみだぶつ)が、筑前の鐘御崎で船を波浪から守るため島を築いた。
1232年
往阿弥陀仏が、船を難破から守るため、飯島岬の先に港湾施設を築く許可を鎌倉幕府に嘆願した。執権 北条泰時はこれを後援し、尾藤景綱、平盛綱らに協力させた。
同年
海路で相模川、酒匂川、伊豆海岸から石が運ばれ、わずか3週間程で竣工した。
1251年
鎌倉七ヶ所の幕府公認の商業地(鎌倉七座)として賑わっていた。
中世
忍性が極楽寺に入ってからは、代々極楽寺長老の管理下に置かれ、維持管理と関銭津料の徴収を認められていた。
江戸時代
「石蔵」や「舟入石蔵」と呼ばれ、材木座村や小坪村の漁船の係留場として使われていた。
1696~1697年
島の修復工事がなされた。
1781年
島の修復工事がなされた。
1826年
満潮時に1m以上海中に隠れるため、材木座村が島の修復を願い出た。
大正12年
関東大震災で地盤が隆起し、水面から顔を出した。
昭和43年
「和歌江嶋」として国の史跡に指定された。
平成18年
より広域が国の史跡に追加指定された。

撮影後記

 京都から鎌倉へ訪れた「海道記」の作者は、「数百艘の船ども、綱をくさりて大津の浦に似たり」と近江の大津のように賑わっていたと記述しています。 瞼を閉じると、在りし日の材木座海岸に多数の船が浮んでいるのを想像できますが、瞼を開ければ、多数のウィンドサーファーが風を切って、時代こそ異なれど、今も昔も同じことなのかもしれません。
 上陸したことはありませんが、難破した船に積んでいた陶磁器などの破片が、見つかったこともあるそうです。 また、以前は玉石を漬物石に使うのか、よく住民に盗まれたため、警官が巡回していたこともあったとか。 時代ですね。 この場所は遠浅で、国の史跡なので漁業権がないそうで、磯の魚貝類を採ったり磯遊びするには手ごろな場所かもしれません。 ワカメやアサリなども採れるそうです。

更新履歴

2011年11月1日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

和賀江島紀行のコメント

コメント欄

はじめまして、噂の東京マガジン ディレクター野崎高伸と申します。
ホームぺーじに掲載されています「和賀江島」の写真1枚を放送で使用したく連絡を取りました。
ご協力の程よろしくお願いいたします。
nozaki8577@yahoo.co.jp
野崎:拝

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