妙法寺

鎌倉の苔寺

寺伝によれば、日蓮が草庵を結んだ松葉ヶ谷草庵跡だと伝わる。中興の日叡は、後醍醐天皇の皇子で幕府討幕に尽力した護良親王の遺児で、裏山には護良親王と日叡の墓がある。鎌倉の「苔寺」として知られている。

妙法寺

妙法寺(大町)について

撮影後記

 以前、神戸の妙法寺という場所に長らく住んでいたので、なんとなく親近感があるお寺さんです。 この辺りは「松葉ヶ谷(まつばがやつ)」と呼ばれますが、嘗て弓の稽古をする的場があったので「的場ヶ谷」と呼ばれ、それが「松葉ヶ谷」となったそうです。 なんでも「屋島の戦い」で、平家が立てた扇の的を射落としたジャパニーズロビンフッドこと那須与一の屋敷が付近にあったからだそう。 そういえば、神戸の妙法寺には那須与一の墓がありましたっけ。
 拝観するといただける小冊子を熟読すると、何処とは書いてありませんが(安国論寺と長勝寺のことだと思われますが)、それぞれ日蓮が鎌倉に来て最初に草庵を結んだ松葉ヶ谷草庵跡を称しているのですが、当寺が間違いなく日蓮の草庵跡だということです。 妙法寺には御小庵と呼ばれる松葉ヶ谷草庵は残っていませんが、境内奥の山腹には「御小庵」の旧蹟碑が建っています。
 なお、タイトルに「妙法寺(大町)」としたのは、JR東海道線の山崎袴線橋の近くにも同名の寺があるため。 ただ、観光で鎌倉の妙法寺と云えば、普通はこちらを連想します。 苔目当ての観光拝観の方は、冬場はあまり美しくないので避けた方がいいかと思います。 ベストシーズンは、苔石段脇にシャガの咲く4月から5月かな。 裏山の護良親王墓まで登ると海も望めて、実に鎌倉らしい古刹で今度が3回目の鎌倉の方なんかにおススメしたいですね。

概要・歴史

山号を楞厳山(りょうごんざん)とする1253年創建の日蓮宗の古刹。 開山は日蓮、中興の祖は日叡、本尊は一塔両尊四師である。 寺伝によると、鎌倉での布教活動をはじめた折に草庵を結んだ松葉ヶ谷草庵跡で、「松葉ヶ谷法難」では焼き打ちされた場所と伝わる。 中興の日叡は、後醍醐天皇の皇子で鎌倉幕府倒幕に尽力した大塔宮護良親王の遺児で幼名は山号の楞厳丸である。 亡き父の菩提を弔い、日蓮の霊跡を守るために1357年に中興した。 裏山には護良親王と日叡の墓がある。 江戸時代には、徳川将軍家および水戸徳川家、肥後細川家などの尊崇を集めた。 また、庶民にも信仰され、しばしば江戸において出開帳を行い、隅田川永代橋において水死者を弔う施餓鬼である日本初の「川施餓鬼」を行った。 毎年、八月二十七日には松葉ヶ谷法難の際、白猿が生姜を捧げて日蓮に英気を養わせた伝説にちなみ「厄除生姜」の法難会が行われる。 鎌倉の「苔寺」として知られる。

住所: 神奈川県 鎌倉市大町4丁目7-4

更新履歴

2011年7月27日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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