朝比奈地域

旧相模国の鎌倉郡

横浜市金沢区の南西端に位置している山地である。古代から無住地であったが、江戸時代になると農耕村落が形成され始め、相模国鎌倉郡峠村となった。六浦大道との町境にある鼻欠地蔵より西が相州、東が武州とされた。

朝比奈

朝比奈地域について

基本情報

名称
朝比奈(あさひな)
指定
歴史的風土特別保存地区(朝比奈切通し特別保存地区)
交通機関
金沢八景駅、鎌倉駅東口からバス利用
所在地
神奈川県横浜市金沢区朝比奈町・東朝比奈

概要

横浜市金沢区の南西端に位置し、鎌倉市十二所に接している山地である。 十二所からは国史跡の朝夷奈切通が貫通している。 古代から未開の地で、鎌倉時代に朝夷奈切通が開削されて六浦道が整備されても、人が住み着いて村落が形成されることはなかった。 江戸初期になると農耕村落が形成され始め、天正検地にもとづいて、相模国鎌倉郡峠村として江戸幕府に認知された。 朝比奈町と六浦大道の町境には、鼻欠地蔵と呼ばれる磨崖仏が金沢街道沿いの法面に見られ、これより西が相州、これより東が武州とされ、相武国境にあったため、「界地蔵」とも呼ばれる。 明治30年に武蔵国の久良岐郡六浦荘村の大字となり、現在も横浜市金沢区に属している。

見所

国史跡
朝夷奈切通 - 鎌倉とその外港である六浦津を結ぶ六浦路に掘削された「鎌倉七口」のひとつで、国の史跡に指定されている。仁治年間(1240年~1243年)頃に開通したと考えられ、執権 北条泰時が自ら掘削工事に寄与したという。
観光名所
熊野神社 - 源頼朝が、鎌倉に覇府を開くと、鬼門に当る朝比奈山上に熊野三柱大神を勧請したことによる。朝比奈切通し開鑿に際し、執権・北條泰時が社殿を建立したと伝わる。
鼻欠地蔵 - 朝比奈町と六浦大道の町境にある磨崖仏が、金沢街道沿いの法面に見られる。鼻が欠けているところから名付けられたという。これより西が相州、これより東が武州とされ、相武国境にあったため、「界地蔵」とも呼ばれる。

歴史

古代
未開の地であった。
1240~1243年
仁治年間、朝夷奈切通が開削され、熊野神社が創建された。
江戸時代初期
農耕村落が形成され始め、相模国鎌倉郡峠村として江戸幕府に認知された。
1695年
地頭・加藤太郎左エ門尉が熊野神社を再建した。
明治22年
市町村制施行で、峠村が東鎌倉村の大字となった。
明治27年
西鎌倉村と合併して、鎌倉町の大字となった。
明治30年
久良岐郡六浦荘村に編入され六浦荘村の大字となった。
昭和11年
六浦荘村が横浜市磯子区に編入され、朝比奈の町名に変更された。
昭和23年
金沢区が磯子区より独立し、金沢区の町名となった。
昭和53年
熊野神社の本殿が新築された。
昭和55年
住居表示変更で、東朝比奈の新町名が誕生した。

撮影後記

 朝比奈切通しの峠付近から六浦側に下らずに分岐して、しばらく歩くと、うっそうとした杉木立の中に熊野神社が姿を見せます。 木漏れ日の中に現れた鳥居と参道は、熊野古道の「紀伊山地の霊場と参詣道」というような雰囲気もどことなくあり、神秘的なものを感じさせます。 おおよそ、鎌倉好きとか、歴史好きの方しかこないような鎌倉の秘境のひとつかもしれません。 ここは、盛夏になるとヤブミョウガの群生地になるそうで、いずれまた。

更新履歴

2010年11月5日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年11月7日
「熊野神社」から「朝比奈」紀行に変更しました。
2014年11月7日
ギャラリーに作品を2点追加しました。

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