岡本

玉縄地域の高台(岡)の下(本)

柏尾川中流域の右岸に沿った細長い地区である。地名の由来は、玉縄地域の城廻・植木・関谷の高台(岡)の下(本)に開けていることからと考えられている。

岡本

岡本について

基本情報

名称
岡本(おかもと)
交通機関
大船駅より徒歩
所在地
神奈川県鎌倉市岡本

概要

柏尾川中流域の右岸に沿った細長い地区。 古代、玉縄地域(城廻・植木・関谷・岡本・玉縄)は、相模国高座郡十四郷のひとつ岡本郷であった。 昭和44年、岡本地区から玉縄地区が分離している。 地名の由来は、玉縄地域の城廻・植木・関谷の高台(岡)の下(本)に開けていることからと考えられている。

見所

観光名所
大船観音寺 - 大船駅前にある曹洞宗寺院。巨大白衣観音像が、大船の街を見下ろすよう微笑みかけ、「大船観音」として親しまれている。近年、アジアからの参拝客増加を受け「ゆめ観音アジアフェスティバル」が開催されている。
黙仙寺 - 明治42年創建の曹洞宗寺院。浜地八郎が、金剛経を広めるため、永平寺管長・黙仙禅師を迎え、遠州三山可睡斎の祐昌寺を移した。山頂からは大船の町を一望できる。
玉縄首塚 - 1526年、安房の里見実堯が鎌倉に侵攻し、玉縄城の北条氏時が柏尾川付近で迎え撃った。北条側の大船の甘粕氏35人が討死し、里見側にも多くの死者が出た。合戦後に氏時は、互いに討ち取った首を交換して此の地に葬ったという。毎年8月の盂蘭盆会では、「玉縄首塚まつり」が開催され、柏尾川で灯篭流しが行われる。
神明神社 - 「神明さま」「お伊勢さま」と親しまれ、古くから五穀豊穣と村民の安穏の社として崇敬されてきた。
丑堰跡 - JR大船駅西側の砂押川が柏尾川に注ぐ付近にあった堰跡。かつて岡本・植木・関谷の三村の堰用水であった。一説には、堰が完成したのが寛永二年(1625年)の丑年だったので「丑堰」という。
大船フラワーセンター - 昭和37年開園の県立フラワーセンター大船植物園で、国内外から収集した約5千余種の植物を四季折々に楽しむことができる。大正9年に保土ヶ谷から移転してきた神奈川県農業試験場が前身。大正時代からシャクヤク、ハナショウブ、ツツジなどが輸出用に改良されてきた。

歴史

奈良時代
玉縄地域(城廻・植木・関谷・岡本・玉縄)は、相模国高座郡十四郷のひとつ岡本郷であった。
平安時代
玉縄付近を中心として玉縄荘が広がっていた。
1513年
北条早雲により玉縄城が築かれた。
1526年
鎌倉へ攻め入った里見義豊の軍勢を北条氏時が柏尾川付近で撃退した。
江戸時代前期
玉縄藩が置かれ、本多正信や松平家の所領となった。
1703年
松平家が上総国大多喜藩に転封となり、玉縄藩は廃された。
明治22年
城廻村、植木村、関谷村、岡本村が合併して玉縄村となった。
明治42年
黙仙寺が創建された。
昭和8年
玉縄村が大船町に編入された。
昭和23年
大船町が鎌倉市へ編入された。
昭和35年
大船観音が完成した。
昭和44年
住居表示変更で岡本地区から玉縄地区が分離した。

撮影後記

 このエリアは律令制時代の岡本郷、奈良時代の横穴式古墳が見られる歴史ある土地ではありますが、大船観音などの寺院は、意外にも近代以降に創建されたものなんです。 それと、コーナン大船モールがあるので、個人的には撮影以外で足しげく通う地区ですね。

更新履歴

2014年10月25日
初版をアップロードしました。

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