青蓮寺

鎖大師

手広にある高野山真言宗の寺院。秘仏本尊の弘法大師像は、関節が鎖で動くようになっているために、「鎖大師」と通称され、国の重要文化財に指定されている。鎖大師は年に五回ほど開帳され、多くの参拝者で賑わう。

青蓮寺

青蓮寺について

基本情報

山号寺号
飯盛山青蓮寺(はんじょうざんしょうれんじ)
別称
鎖大師(くさりだいし)
宗派
高野山真言宗
寺格
準別格本山
創建
伝 819年(弘仁十年)
開基
伝 空海
本尊
鎖大師
札所
関東八十八箇所 59番、東国新四国八十八箇所 88番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
鎖大師バス停すぐ
住所
神奈川県鎌倉市手広5丁目1-8
サイト
鎖大師青蓮寺

概要

手広にある高野山真言宗の寺院。 本堂に安置される秘仏本尊の弘法大師像は、関節が鎖で動くようになっており、「鎖大師」と通称される。 鎌倉時代の裸形彫刻として貴重で、国の重要文化財に指定されている。 寺伝によれば、弘法大師空海が裏の飯盛山で護摩の秘法を修されたときに、江の島弁財天から仏舎利を託され、翌朝目を覚ますと池に青い蓮華(ハス)が一面に咲いていたと伝わり、寺号の由来となっている。 鎖大師は年に五回ほど開帳され、参拝者で賑わう。

見所

国重要文化財
木造弘法大師坐像 - 通称「鎖大師」。関節が鎖で動くようになっており、目は玉眼、爪は水晶で造られており、鎌倉時代の裸形彫刻として貴重。年に五回ほど開帳される。伝説では、弘法大師自ら刻み、嵯峨天皇に奉献したものとされる。その後、大和の岡寺から鶴岡八幡宮の等覚院に長らく安置され、神仏分離によって転々とし、最終的に当寺に落ち着いた。
黒漆華形大壇 - 室町時代作の大壇。
蓮唐草蒔絵箱形礼盤 - 1526年作の礼盤。(鎌倉国宝館寄託)
市文化財
曼荼羅金胎
銅造観音菩薩立像
観光名所
本堂 - 秘仏本尊の鎖大師をはじめ、不動明王、愛染明王、薬師三尊、釈迦如来、観音菩薩などの仏像が安置されている。
山門 - 江戸時代後期の建築。
塔頭 - 宝積院が境内にあり、地下が納骨室になっている。江戸時代には熊野神社の別当寺であった。
飯盛山 - 山号にもなっている裏山。弘法大師が山頂で7日間、護摩を焚き修行したと伝えられ、石碑が立っている。
塔頭 - 宝積院が境内にあり、地下は納骨室となっている。江戸時代には熊野神社の別当寺であった。
椿地蔵 - 手広交差点付近にあり、「いぼ地蔵」として親しまれている。当寺住職が管理し、毎年8月14日が例祭となっている。
谷戸坂切通 - 手広と腰越を結んでいた古道(江ノ島道のひとつ)の切通し。「鎖大師参道」と示された廃洞門もある。

行事

1月1日
元朝護摩 - 鎖大師開帳。
1月21日
初大師 - 鎖大師開帳。
4月8日
花祭り - 甘茶接待。
4月第3土曜日
鎖大師正御影供大祭 - 稚児行列。鎖大師開帳。
6月15日
青葉まつり - 甘茶接待。
8月16日
施餓鬼法要 - 鎖大師開帳。
12月21日
納め大師 - 鎖大師開帳。
12月31日
除夜の鐘 - 鎖大師開帳。

歴史

819年
空海が裏の飯盛山で護摩の秘法を修されたと伝わる。
1457~1461年
長禄年間、善海が中興したと伝わる。
江戸時代
相模国に30以上の末寺を抱え、法談所や関東壇林三十四院のひとつとしても名を連ねた。
1833年
火災で焼失。
大正12年
関東大震災で倒壊した。

撮影後記

 手広にある寺院で、西鎌倉方面では最も大きなお寺です。 江戸天保年間に起きた火災と関東大震災で寺の史料が失われ、起源が定かではないのですが、寺宝の多さや現在でも10あまりの末寺があるそうなので、この辺りの古刹であるのでしょう。
 近くには谷戸坂切通があり、戦後に大規模宅地造営され、門前の県道が開通するまでは、この古道が腰越方面への生活道路として使われていたそうです。 今では考えられませんが、戦前までは開発から取り残され、この辺りが最も鎌倉らしい地域だったのでしょう。

更新履歴

2012年8月11日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月19日
ギャラリーに作品を2点追加しました。
2015年10月17日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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