円応寺

閻魔大王像

臨済宗建長寺派の寺院で、もとは長谷や由比ヶ浜にあり、江戸時代に建長寺門前に移転した。別名「閻魔堂」「十王堂」とも呼ばれ、仏殿には運慶作と云われる閻魔大王を中心とした冥界の十王像が安置されている。

円応寺

圓應寺について

撮影後記

 元は、長谷や材木座の方にあったお寺で、江戸時代の津波被害で現在地に移転してきたお寺で、現在の東北沿岸の状況とダブります。 現在の場所には建長寺塔頭の大統庵があったそうです。
 円応寺(えんのうじ)の目玉は、なんといっても仏殿の閻魔大王像。 頭部が鎌倉時代の仏師・運慶の作と云われ、体部は江戸時代作だと云われています。 運慶が、病気で瀕死の状況で彼の世に行きかけたとき、夢枕で十王と閻魔大王の裁きを受け、「世間では血も涙もないと思われているが、ワシ(閻魔大王)は裁判官の仕事をしてるに過ぎず、本当は正義の味方だ。ワシのありのままの姿を彫って世間の人に見せてやれ。そうすればこの世に戻してやる」と裁かれました。 運慶は生き返り、そのときの記憶をもとに彫ったのがこの閻魔大王像。 口を大きく開き、笑っているようにも見えるので、「笑い閻魔」と呼ばれ、運慶が生き返った喜びのあまり笑いながら像を彫ったためと多くの書籍には書かれています。 ただ、私には笑っているようには見えず、「死ぬな運慶」と叱咤激励しているように見えてならないです。 また、子どもを間違って呑み込んだという、閻魔大王らしい恐ろしい伝説も残っています。 そんな面白い逸話が残る閻魔さまですが、この寺で赤ちゃんをの名前を付けてもらう丈夫に育つと云われ「子育て閻魔」とも云われ、お参りする人は多いです。

概要・歴史

山号を新居山とする臨済宗建長寺派の寺院で創建は1250年とされる。 開山は智覚、本尊は閻魔王。 別名「閻魔堂」、「十王堂」とも呼ばれ、仏殿には鎌倉時代に流行した十王思想に基づいて閻魔大王を中心とした冥界の十王像が安置されている。 「新編鎌倉志」によれば、はじめ新居(荒井)の閻魔堂という甘縄神明神社の近く、由比郷見越岩に建てられた。 その後、足利尊氏によって滑川の川岸へと移転した。 現在、材木座九品寺近くに「新居閻魔堂跡」を示す石碑がある。 1703年の元禄地震による津波により閻魔堂が大破した。 翌年、建長寺門前の北鎌倉に移転した。

住所: 神奈川県 鎌倉市山之内1543

更新履歴

2011年8月12日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年11月17日
ギャラリーに作品を2点追加しました。

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