金沢地域

金沢八景

金沢流北条氏は此の地に屋敷を構え、称名寺や金沢文庫が設立された。一帯は風光明媚な入り江が続く景勝地で、「金沢八景」が漢詩や浮世絵に描かれ、江の島と並び称される遊覧の地として江戸庶民や文人墨客も訪れた。

金沢

金沢地域について

基本情報

名称
金沢(かなざわ)
指定
国史跡(称名寺境内)
交通機関
京急金沢文庫駅、金沢八景駅から徒歩
所在地
神奈川県横浜市金沢区金沢町・寺前・谷津町・町屋町・洲崎町・平潟町・乙舳町・野島町・泥亀・大川

概要

古くは武蔵国久良岐郡六浦荘金沢郷。 古代、瀬戸神社の北西側一帯は入り江となっており、塩田が設けられ製塩が盛んであった。 鎌倉時代に朝夷奈切通が開削されると、鎌倉と六浦を結ぶ「六浦道」が整備され、塩などが運ばれる要路となった。 金沢流北条氏は此の地に屋敷を構え、七堂伽藍を備える称名寺や武家の文庫である金沢文庫が設立された。 また瀬戸橋が架けられ、六浦と金沢が陸路でつながると、町屋・寺前などが発展していった。 一帯は風光明媚な入り江が続く景勝地で、「金沢八景」が漢詩や浮世絵に描かれ、江の島と並び称される遊覧の地として江戸庶民や文人墨客も訪れた。 しかしながら、内川入江の景観が泥亀新田などの干拓によって失われ、戦後になると都市開発が急速に進み、湾岸が埋め立てられたため、往時の面影は殆ど失われてしまった。

見所

国史跡
称名寺 - 真言律宗別格本山。開基は金沢北条氏の祖である北条実時で、代々金沢北条氏の菩提寺として栄えた。境内にある「金沢文庫」は、実時が設置した武家の文庫で、日本初の私設図書館とも位置付けられている。
市文化財
旧伊藤博文金沢別邸 - 野島公園にある伊藤博文の別荘で、平成21年に創建当時の姿に復元された。乙舳の海を一望できる純和風建築で、大正天皇や昭和天皇など多数の政府高官が招かれた。敷地内には牡丹園がある。
観光名所
龍華寺 - 洲崎にある真言宗寺院。源頼朝が、瀬戸神社の別当寺として六浦に建てた「浄願寺」が起源と伝わる。室町時代にこの地に移り「龍華寺」とした。春には境内一面にボタンが咲き誇り、「牡丹寺」として知られる。
薬王寺 - 寺前にある真言宗寺院。伊豆修繕寺にて梶原景時に攻められ自刃した源範頼の霊を弔うために建立された。本尊の薬師如来は、源範頼の念持仏と伝わる。
伝心寺 - 町屋町にある曹洞宗寺院。創建後、数回の火災により衰運したが、大永元年(1521年)、小田原北条氏の氏繁が養拙宗牧を招いて開山とした。氏繁の墓碑が墓地中央にある。
安立寺 - 町屋町にある日蓮宗寺院。日蓮が下総から鎌倉に渡るとき、下総中山の城主と船中で問答を行い、船がこの金沢に着くと修験行者の悟明の庵に来きた。悟明はこの問答を聞いて、日蓮聖人に帰依して創建されたという。
金沢八幡神社 - 寺前・町屋・州崎の三村の鎮守で、「寺前八幡神社」として親しまれている。鎌倉時代に既に存在していた古社。
野島稲荷神社 - 野島公園にある稲荷神社。万治年間(1658年~1661年)、野島南端の海辺に紀伊藩主徳川頼宣の別邸があり、「塩風呂御殿」と呼んだという。
谷津庚申塔 - 天明9年(1789年)の青面金剛文字塔、貞亨4年(1687年)の青面金剛立像塔、享保10年(1725年)の青面金剛立像塔の三基。
明治憲法草創の碑 - 明治20年、伊藤博文を中心に、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎が、この地にあった東屋で明治憲法の草案を作成していた。
姫小島水門 - 干拓事業に尽力した永島家六代目段右衛門が、金沢入江新田開発のため造った水門。平成5年に復元された。
瀬戸橋 - 瀬戸と洲崎を結ぶ石橋。江戸時代中期まで、瀬戸橋より北側の金沢文庫駅や手子神社あたりまで内海が広がっていて、ここは狭い海峡であった。1305年には、金沢貞顕が瀬戸橋を架け、六浦と金沢が陸路でつながると町屋・寺前などが発展していった。
夕照橋 - 金沢八景「野島夕照」から命名された平潟湾に架かる橋。野島への渡し船が廃止された昭和19年に橋が架けられた。

歴史

古代
武蔵国久良郡に属していた。
1189年
龍華寺が創建された。
1240~1243年
仁治年間、朝夷奈切通が開削された。
1247年
武蔵国六浦庄の名が見られる。
1258年
称名寺が創建された。
1275年
北条実時が屋敷に文庫を設けた。
1305年
金沢貞顕が瀬戸橋を架けた。
1703年
心越禅師の漢詩に対し、京極高門が和歌で金沢八景の景色を称えた。
1722年
米倉氏が六浦引越村に移り住み、六浦藩(金沢藩)が成立した。
1848~1854年
嘉永年間、内川入江が泥亀新田などの干拓によって失われた。
明治43年
製塩地整理法によって塩田が廃止された。
明治22年
町村制の施行により、町屋村、洲崎村、寺前村、谷津村、野島村、泥亀新田と柴村、富岡村が合併し、久良岐郡金沢村になった。
大正15年
町制施行して金沢町となった。
昭和5年
湘南電気鉄道(京浜急行)が黄金町・浦賀間と金沢八景・逗子間に鉄道を開通させ、金沢文庫が県立金沢文庫として復興した。
昭和11年
横浜市磯子区に編入された。
昭和23年
金沢区が磯子区より独立した。
平成元年
金沢シーサイドラインが開通した。

撮影後記

 古くは六浦荘という荘園があって、六浦・金沢・釜利谷・富岡の4郷から成り立っていました。 ここで紹介する金沢地域とは、その古い金沢郷エリアのことで、旧金沢村の富岡村と柴村エリアも含んでいません。

更新履歴

2014年11月9日
初版をアップロードしました。
2015年10月17日
ギャラリーの作品を1点削除しました。
2015年10月17日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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