小動神社

天王祭

佐々木盛綱が創建し、新田義貞も戦勝祈願した腰越の鎮守社である。毎年7月の「天王祭」は、夫婦社である江の島八坂神社との行合祭で、神輿が当社まで渡御し、腰越五ヶ町の出迎え行列での武者人形や山車が練り歩く。

小動神社

小動神社について

基本情報

社名
小動神社(こゆるぎじんじゃ)
別称
八王子宮、はちょうじさん、三神社
創建
1185年~1189年(文治年間)
主祭神
建速須佐之男命(スサノオ)、建御名方神、日本武命(ヤマトタケル)
旧社格
村社
例祭
1月16日
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
江ノ電腰越駅徒歩5分
住所
神奈川県鎌倉市腰越2丁目9-12

概要

腰越の小動岬に建つ腰越の鎮守社である。 源平の戦いで活躍した佐々木盛綱が、江の島詣での途中に「小動の松」という風もないのにゆれる松があったという小動山に上り、そこからの眺望に魅了され、父祖の近江国の八王子宮を勧請したのが起源とされる。 盛綱は、葉をゆらせて琴のような音を奏でる小動山の松を「天女遊戯の霊木」と称したと伝わる。 新田義貞の鎌倉攻めの際にも戦勝祈願し、倒幕成就の後、太刀一振に黄金を寄進した。 毎年7月の「天王祭」は、江の島の江島神社末社の八坂神社の神輿が当社まで神輿渡御し、腰越五ヶ町の天王囃子の出迎え行列、武者人形や山車が練り歩く。 かつては「西の祇園の花車、東は腰越の人形山車」と称されたほどの大祭で、異なる市に属する神社の行合祭は珍しい。

見所

観光名所
社殿 - 江戸時代建立の本殿は、関東大震災で倒壊。昭和4年に再建された。
摂末社 - 海神社、稲荷社、金刀比羅社、第六天社が祭られている。
展望台 - 江の島や相模湾が望める。
神輿庫 - 天王まつりで担がれる神輿が保管されている。
小動岬 - 境内がある岬で「八王子岬」「小動の鼻」とも呼ばれる。七里ヶ浜と腰越の浜を分けている。
台場跡 - 幕末の黒船出没での異国船打払令で設置された砲台跡。現在、第六天社裏の人家の敷地内となっている。

祭事

1月16日
例祭 - 鎌倉神楽の「湯花神楽」が奉納される。
7/7~7/14
天王祭 - 江の島の江島神社末社の八坂神社の神輿が「龍人囃子」の行列で当社までの神輿渡御。各町の天王囃子の出迎え行列、武者人形や山車が練り歩き、かつては「西の祇園の花車、東は腰越の人形山車」と称されたほどの大祭。八坂神社とは夫婦神であり、五男三女の子供が祀られているので、神仏分離前は「八王子社」と呼ばれていた。鎌倉と藤沢という異なる市に属する神社の行合祭は珍しい。
第1日目
出御祭 - 腰越五ヶ町の中原・下町・土橋・神戸・浜上の囃子が五ヶ町をまわり神輿を迎え、神社下の天王屋敷の仮宮に神輿を安置する。
2日目~6日目
山車が各五ヶ町内に引き出され、夕方になると囃子太鼓の音色がこだまする。
第7日目
宵宮祭 - 神戸橋を境に各山車が出会い別れる。前夜祭で露店が出店もして賑わう。
第8日目
神幸祭 - 仮宮に安置されていた神輿が出され、海岸の安置所で囃子方が囃子たて、神主が祝詞をあげる。その後、龍口寺前に神輿を移動し、迎えの使者を八坂神社に送り、ここで八坂神社からの神輿を待つ。神輿が着くと並んで仮安置され、小動神社の天王屋敷に両神輿が向かい祭典が行われる。祭典が終わると小動の囃子が八坂神社の神輿を送る。
8月
諏訪祭

歴史

1185~1189年
文治年間、治承・寿永の乱で活躍した佐々木盛綱が、江の島詣での途中に「小動の松」という風もないのにゆれる松があったという小動山に上り、そこからの眺望に魅了され、父祖の近江国の八王子宮を勧請したのが起源とされる。盛綱は、葉をゆらせて琴のような音を奏でる小動山の松を「天女遊戯の霊木」と称したと伝わる。
1333年
新田義貞の鎌倉攻めの際、八王子宮に戦勝祈願し、倒幕成就の後、太刀一振に黄金を添えて寄進し、それで社殿を再興した。
江戸時代
牛頭天王、歳徳神、日本武命の三神を祀ることから、小田原城主 大久保忠真は「三神社」の扁額を奉納し、現在拝殿の中に掲げられている。
1817年
腰越村の人々が協力して本殿を再建した。
明治元年
神仏分離で八王子宮から「小動神社」と改称した。
明治42年
腰越村にあった諏訪神社がこの地に移され、建御名方神が合祀された。
大正12年
関東大震災で本殿が倒壊した。
昭和4年
本殿が復興された。
昭和37年
天王祭での山車小屋火災により濱上町、土橋町、中原町の山車が焼失し、神戸町の山車が半焼した。

撮影後記

 国道134号に面した腰越漁港の西側の鼻にある神社です。 度重なる心中をしたことでも知られる太宰治ですが、この小動岬でも未遂事件を起こしたことがあるそうです。 鎌倉でも屈指の眺望を有する神社で、夕方の展望台から眺める夕陽が素晴らしいですね。
 今でも賑わう天王祭ですが、火災で山車が焼失する前は、祇園祭の山鉾に比べられるほど背の高い人形山車が練り歩く大祭だったそうです。 江ノ電が架線を外さないと、背の高い人形山車が通れなかったんだとか。 だから、山車から人形を降ろす夕方まで、江ノ島駅と腰越駅で、それぞれ鎌倉駅と藤沢駅からの電車が折り返し運転をしていたそうです。

更新履歴

2011年11月10日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月15日
ギャラリーに作品を1点追加しました。
2014年11月16日
ギャラリーに作品を2点追加しました。

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