来迎寺

如意輪観音像

1293年、大地震で亡くなった人々を弔うために、一向が建立したと伝わる時宗寺院。本堂に安置された県重文の如意輪観音像は、鎌倉地方特有の「土紋装飾」が施されて、鎌倉に七躰現存する仏像のひとつで艶美である。

来迎寺(西御門)

鎌倉来迎寺(西御門)について

基本情報

山号寺号
満光山来迎寺(まんこうざんらいこうじ)
宗派
時宗
寺格
遊行寺末
創建
1293年(永仁元年)
開山
一向
本尊
阿弥陀如来
札所
鎌倉観音巡礼第5番、鎌倉地蔵巡礼第2番、鎌倉十三仏第10番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
鎌倉駅東口から大学前バス停下車徒歩10分
住所
神奈川県鎌倉市西御門1丁目11-1

概要

西御門にある時宗寺院。 1293年、大地震で亡くなった人々を弔うために、一向が建立したと伝わる。 本尊の阿弥陀如来と共に、県重文の如意輪観音や地蔵菩薩が安置されている。 なかでも如意輪観音像は、粘土や漆などを混ぜて型で抜き、刺繍の文様を立体的に表わす鎌倉地方特有の「土紋装飾」が施されて、鎌倉に七躰現存する仏像のひとつで、艶美である。

見所

県重要文化財
木像如意輪観音半迦像 - もと廃寺の光福寺から如意輪堂を経て法華堂に安置されていた像。鎌倉特有の「土紋」が施され艶美。鎌倉三十三観音の第5番札所。
木像地蔵菩薩坐像 - もと廃寺となった西御門の報恩寺本尊で、太平寺を経て法華堂に安置されていた像。室町時代初期の宅間浄宏作。鎌倉二十四地蔵の第2番札所。
市重要文化財
跋陀婆羅尊者像 - 水によって悟りを開いたとされる羅漢像。もとは廃寺となった西御門の報恩寺の寺仏。

歴史

1293年
大地震で亡くなった人々を弔うために一向が建立した。
1712年
本尊の阿弥陀如来坐像が仏師 三橋薩摩によって造立された。
明治2年
法華堂(源頼朝の墓)が廃され、祀られていた地蔵菩薩坐像、如意輪観音半迦像、跋陀婆羅尊者像(ばっだばらそんじゃ)の三仏と、鰐口、手洗い石が当寺に移された。
大正12年
関東大震災で本堂が倒壊した。
平成6年
本堂が再建された。

撮影後記

 以前、ミモザで知られる材木座の来迎寺をアップしましたが、こちらは西御門にある来迎寺になります。 北側にはテニスコートが敷かれていますが、かつて廃寺となった太平寺や宮城県へ移転した高松寺がありました。 太平寺は「尼五山」筆頭に列せられていた格式ある寺院で、本尊の聖観音は、尼五山に列せられていた東慶寺に安置されています。 また、太平寺の仏殿は、国宝円覚寺舎利殿としてお馴染です。
 このお寺の目玉は、なんといっても鎌倉で最も美しい仏像のひとつともいわれる如意輪観音像などの仏像でしょうか。 書道教室となっている庫裡で拝観料を納めると、本堂の拝観ができます。
 この如意輪観音には悲しい逸話があります。 その昔、由比の長者と呼ばれる染屋太郎時忠が住んでいました。 由比の長者が溺愛していた愛娘が、由比ヶ浜で遊んでいると、上空から大鷲が娘をさらって飛び去っていきました。 八方手を尽くし行方を探しましたが、残念ながら見つかったのは変わり果てた娘の姿でした。 せめてもの供養にと、如意輪観音を刻んだということです。 お寺には、その亡骸が納められているとのことです。
 今も昔も同じで、小さい子を狙って悲しい事件があるものです。 ちょっとちがうのですが、私は鎌倉のトンビに2回も食べていたアイスクリームをさらわれたことがあります。 湘南の鳶は油断ならないヤツです。

更新履歴

2011年10月19日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年11月20日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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