二階堂

見所満載の風光明媚な地

源頼朝が建立した永福寺が、二階建てであった事から二階堂と称され、地名の由来となった。 名刹も数多く存在し、鎌倉最高峰の天園に続く尾根は「鎌倉アルプス」と称され、見どころ満載の風光明媚な地区である。

二階堂

二階堂について

基本情報

名称
二階堂(にかいどう)
指定
国名勝(瑞泉寺庭園)、国史跡(瑞泉寺、覚園寺、荏柄天神社、永福寺跡)、歴史的風土特別保存地区(瑞泉寺、護良親王、永福寺跡特別保存地区)
交通機関
鎌倉駅東口からバス利用
所在地
神奈川県鎌倉市二階堂

概要

鎌倉時代初期、源頼朝は永福寺を建立し、鶴岡八幡宮、勝長寿院と並び鎌倉の三大寺社であった。 3つのお堂と池や釣殿があり、二階建てであった事から二階堂とも称され、二階堂の地名の由来となった。 地区を滑川の支流である二階堂川が流れ、鎌倉最高峰の大平山一帯の天園に続く尾根は「鎌倉アルプス」とも称される。 永福寺跡をはじめ、夢窓国師ゆかりの瑞泉寺、真言宗の名刹覚園寺、日本三天神のひとつともされる荏柄天神社は国の史跡。 鎌倉最古の浄刹杉本寺、明治天皇自ら創建された鎌倉宮など、見どころ満載の風光明媚な地区である。

見所

国名勝
瑞泉寺庭園 - 夢窓疎石の作庭による方丈書院の庭園を復原したもの。鎌倉時代唯一の庭園遺構として貴重である。
国史跡
瑞泉寺 - 夢窓疎石が禅院相応の勝地として、1327年に開いた臨済宗円覚寺派の禅刹で、関東十刹の筆頭格に列せられた。国師作庭による庭園は国の名勝。紅葉の名所として知られ、四季折々の花が咲く「花の寺」としても名高い。
覚園寺 - ※ 覚園寺紀行アップ時に記入します。
荏柄天神社 - 社伝によれば創建は1104年と伝わり、源頼朝の鎌倉入り前の古社である。境内に立つ御神木の大銀杏は樹齢900年ともいわれる鎌倉一の古木であり、梅の名所としても知られる。また、漫画家と縁の深い神社でもある。
永福寺跡 - 鎌倉時代初期、源頼朝が建立した寺院で、鶴岡八幡宮、勝長寿院と並び鎌倉の三大寺社であった。3つのお堂と池や釣殿があり、二階建てであった事から二階堂とも称され、二階堂の地名の由来となっている。
県史跡
百八やぐら - 覚園寺裏山の鷲峰山にある鎌倉最大のやぐら群で、180穴ほどあるといわれる。中世の武士や僧侶の墓と伝えられる。
宮内庁管理
護良親王墓 - 後醍醐天皇の第三皇子。鎌倉宮の東北側にある理智光寺跡に構廟(首塚)がある。東光寺で斬首された親王の首は理智光寺の住職によって葬られたといわれる。
観光名所
鎌倉宮 - 通称、大塔宮。明治天皇が、「建武の中興」につくされたものの、この地で悲運の死を遂げた護良親王を祀るために創建された。天皇自らが創建された唯一の神社である。毎年10月には、「鎌倉薪能」が幽玄に奉納される。
杉本寺 - 734年創建の天台宗の古刹で、鎌倉最古の寺とされている。開山は行基、本尊は十一面観音、坂東三十三箇所の第1番札所である。寺号は、本堂焼失の際に観音像自ら脱出し、境内の大杉のもとに避難したという逸話から。
天園 - 鎌倉最高峰の大平山(標高157m)一帯の眺望の利く園地。鎌倉最長の天園ハイキングコースが整備され、「鎌倉アルプス」とも称される鎌倉で最も高い二階堂の尾根を歩く。天園をはじめ、山ノ内には十王岩や勝上嶽など展望台もあり眺望が良いのが特徴である。別名、「六国峠」ともいい、名付けたのは、日露戦争の英雄・東郷平八郎である。
貝吹地蔵 - 天園ハイキングコースの瑞泉寺裏山の天台山にある地蔵。新田義貞の鎌倉攻めで、東勝寺で自刃した北条高時の首を敵軍に渡すまいと逃げていた家来のもとに地蔵が現れて、貝を吹き鳴らしながら当地に案内してくれ、無事埋葬することができたという伝説がある。
歌の橋 - 金沢街道の二階堂川に架かる「鎌倉十橋」のひとつ。1213年、謀叛を企てたとして捕まった渋川兼守は、無実の罪を晴らすために十首の和歌を荏柄天神社に奉納し、将軍源実朝は和歌を見て感心し無罪となったという。兼守は、その御礼にこの橋を架けたことから「うたのはし」という。 
理智光寺跡 - 覚園寺ゆかりの願行(泉涌寺第六世)が開いたと伝わる寺で、明治元年に廃寺となった。覚園寺薬師堂に安置されてい鞘阿弥陀は、理智光寺のもので、「鎌倉六阿弥陀」のひとつ。
関取場跡 - 戦国時代、小田原の北条氏康が、商人や参詣者から関銭を徴収するために関取場を設けた跡という。関銭は荏柄天神社の社殿修復などの充てられた。

歴史

734年
杉本寺が創建されたと伝わる。
1104年
荏柄天神社が創建されたと伝わる。
1185年
永福寺が創建された。
1218年
覚園寺が創建された。
1327年
瑞泉寺が創建された。
戦国時代
小坂郡に属していた。
江戸時代
二階堂村は、西御門村・浄明寺村・十二所村と共に「谷合四ヶ村」と称された。
明治元年
理智光寺が廃寺となった。
明治2年
鎌倉宮が創建された。
明治22年
市町村制施行で、二階堂村が東鎌倉村の大字となった。

撮影後記

 二階堂の尾根を縦走する天園ハイキングコースに関して。 ルートに関しては、建長寺の半僧坊から瑞泉寺の登山口まで歩くのが一般的になります。 秋には獅子舞の谷を経由してモミジ狩りをするのも一興です。 支道も多くて、北鎌倉の登山口として、「明月谷」と「建長寺半僧坊」が、大船の登山口として「今泉台」が、二階堂の登山口として「薬師堂ヶ谷」と「獅子舞」と「紅葉ヶ谷」が、十二所の登山口として「番場ヶ谷」と「十二所神社」と「鎌倉霊園」などがあります。 また、横浜市金沢区からの登山口も多数あります。 途中で明月院や覚園寺に降りたり、今泉台に降りて散在ガ池森林公園に向かったり、もしくは十二所や金沢方面までもっと歩いたりと変化もつけれます。 沿道には「朱垂木やぐら」「貝吹地蔵」「百八やぐら」「お塔の窪やぐら」「貝吹地蔵」などの史跡も点在して、歴史ロマンを感じさせてもくれます。
 今でこそ森閑とした場所を歩きますが、鎌倉時代の尾根は、木々は伐採され地面は削平されていました。 鎌倉の町を囲むようにあるハイキングコースが、いわば城壁の役割をしていて、鎌倉の町全体を「鎌倉城」と称されたのはそのためです。

更新履歴

2010年9月8日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年11月6日
「天園ハイキングコース」から「二階堂」紀行に変更。
2014年11月6日
ギャラリーに作品を5点追加しました。
2014年11月7日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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