安国論寺

立正安国論

大町にある日蓮宗寺院。日蓮が鎌倉で初めて草庵を結んだ松葉ヶ谷草庵跡とされ、境内にある岩屋の御法窟で、「立正安国論」を草したと伝わる。花歴も豊富で、妙法桜をはじめ、山茶花や海棠も市の天然記念物である。

安国論寺

安国論寺について

基本情報

山号寺号
妙法蓮華経山安国論寺(みょうほけきょうざんあんこくろんじ)
宗派
日蓮宗
創建
1253年(建長五年)
開山
日蓮
本尊
南無久遠実成本師釈迦牟尼仏
駐車場
駐車場なし
交通機関
名越四ツ角バス停徒歩3分
住所
神奈川県鎌倉市大町4丁目4-18

概要

大町にある日蓮宗寺院。 寺伝によれば、日蓮が鎌倉で初めて草庵を結んだ松葉ヶ谷草庵跡とされ、境内にある岩屋の御法窟で、北条時頼に建白した「立正安国論」を草したと伝わる。 弟子の日朗が、御法窟の傍に「安国論窟寺」を建立したのが起源という。 境内には、日蓮が「松葉ヶ谷法難」に遭い、白猿に助けられたという伝説の岩窟や、日朗が荼毘に付されたといわれる荼毘所がある。 花歴も豊富で、樹齢750年以上といわれる妙法桜や樹齢350年といわれるサザンカなどの古木も立つ。

見所

市天然記念物
山茶花 - 樹齢350年といわれる白花サザンカ。
海棠(カイドウ) - 樹勢が衰退している。
妙法桜 - 日蓮の桜杖が根付いたとされ「お杖桜」とも称され、樹齢は750年以上とも。市原虎の尾(イチハラトラノオ)という品種のサトザクラ。平成24年、住友林業によって後継樹が植えられた。
観光名所
本堂 - 日蓮上人像が安置されている祖師堂。
御小庵 - 元禄年間に尾張徳川家の寄進よって建てられたものを天保年間に再建。背後には、日蓮が鎌倉で初めて道場とし、「立正安国論」を草したといわれる御法窟(日蓮岩屋)がある。
山門 - 1746年の建立。日蓮窟「安国法窟」の額を掲げる。
石灯籠 - 増上寺の御霊屋(おたまや)から移されたもの。
日朗御荼毘所 - 日朗の依願で、出家し修行したこの地で荼毘に付され、逗子法性寺の御猿畠に葬られたといわれる。
南面窟 - 日蓮が「松葉ヶ谷法難」に遭い、山王神のおつかいの3匹の白猿が現れ、この岩窟に案内し食べ物まで運んでくれ、その後、逗子法性寺の御猿畠に逃がしてくれたといわれる。
熊王殿 - 日蓮に仕えた熊王丸が信仰した稲荷を祀る。
富士見台 - 裏山の巡礼路からは大町を眼下に富士山を望め、日蓮が身延山の方を向き、毎日法華経を唱えたという。
平和の鐘楼 - 立正安国の鐘は、人間国宝の香取正彦鋳造による。

歴史

1253年
日蓮が松葉ヶ谷のこの地に草庵を建立したともいわれる。
1260年
日蓮が「立正安国論」を著わし、北条時頼により松葉ヶ谷の草庵が焼き討ちされるも難を逃れた。(松葉ヶ谷法難)
1260年
弟子の日朗が、「立正安国論」を草したといわれる御法窟の傍に「安国論窟寺」を建立した。
戦国時代
池上本門寺11世 日現が「要法寺」を建立した。
近世
安国論窟寺と要法寺が統合し「安国寺」となった。

撮影後記

 日蓮が鎌倉に来て最初に草庵を結んだ松葉ヶ谷草庵跡ともいわれている場所のひとつです。(他は妙法寺と長勝寺) この3カ寺の辺りが松葉ヶ谷と呼ばれ、鎌倉時代は的場があったので的場ヶ谷と呼ばれていたようです。 以前は門前に「傘松」と称せられる老松があり、その下で日蓮が辻説法を行っていたことから松葉ヶ谷と呼ばれるようになったという話も聞きます。 鎌倉時代、この地を大町大路が通っていたとされることで、辻説法の拠点となりうるし、谷戸地形からも、当寺から妙法寺の辺りが松葉ヶ谷ではないかと思っています。

更新履歴

2012年8月14日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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