さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
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さくら紀行
全国の一本桜、名桜、お花見名所への巡礼記憶
日光市御幸町の龍蔵寺山内の墓地に一本のエドヒガンザクラの古木が自立している。 大枝の枯損が散見されるが、地上5メートル付近で三枝に分かれ、さらに上空に向かって枝を伸ばしている。 樹勢は旺盛で、鮮やかな紅色の花を上空高くまで咲かせる。 龍蔵寺は天台宗の古刹で開創は建保元年(1213年)。 鎌倉幕府の有力御家人であった畠山重忠が北条時政に誅殺され、重忠の子重慶は日光へ逃れ出家した。 畠山重忠乱の8年後、日光山別当の弁覚に謀反の企てを疑われ、将軍実朝の御前に重慶の首が届けられた。 将軍実朝は「父重忠は罪なく誅殺された。重慶が謀反を企てること何事があろうか。まずその身を生け捕りにして陰謀の如何によって処分すべきであった」と嘆いた。 弁覚は悔い、龍蔵寺を建立して重慶(大夫阿闍梨重慶)の菩提を弔ったという。
市内大沢に六尺藤で有名な龍蔵寺がありますが、こちらは日光市街地の龍蔵寺です。 「日光桜回遊」パンフには、「龍蔵寺の桜」と掲載されているサクラです。 住所が御幸町であることから、もとは日光山に寺域があり、東照宮が造営された際に江戸幕府によって当地に移されたのでしょうか。
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